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さて、今日はうちの父の54歳の誕生日です。
自宅電話には滅多に出ない父。携帯のメールは、「こんなこまい字が読めるかいな。」と言いながら、老眼鏡はかけたがらん父。
I can talk to him only once in a blue moon...
6年前に留学を最初に認めてくれたんも父でした。
恥ずかしがり屋で、ほんまは涙もろい父はあんまり僕と深い話はしようとはしてくれません。
二十歳になった時もお酒を一緒に飲もうともしてくれんかった父。
けれども大学をオンラインに切り替えて、講師をしよった一年間はわざわざ僕がもんてくるのを熱燗を作って待っとってもくれたりもしました。
待ちくたびれて、シーズー犬のポポと一緒にぐーすか言いながら寝てる父を起こさんように夜中にご飯を食べるんも意外に楽しかった。
「若い時の苦労は買ってでもせぇ。」と口うるさく言よったんもうちの父。
「大学のことはもう心配せんでええから。」と父からの援助を断った時、少し肩の荷がおりたような顔をしながらも、少し寂しそうな顔もしていました。
大和さんが彼女の英語タウンブログで、「アメリカに行って何年も日本を離れたら、友達やその他大切な人達との絆は失わなきゃいけない。」と言っていました。
確かにその通り。長年の留学は日本の友達との関係を薄く、そして軽くしてしまう(全ての友達ではないけどね)。そして、家族もその大切な人の一員で、うっかりすれば家族との距離も離れてしまう。
そういうことに焦って、毎日のようにメールを送っていた僕も今では「頼りがないのは元気な証拠」を実践しています。
なんて寂しいやつ、と思われるかもしれませんが、家族の絆はそんなに脆くない。
数年して久しぶりに家族のもとに戻ったときに、どれだけ自分が成長できたかを見せることが出来れば、それだけで安心してくれるんでないでしょうか。
少なくとも僕の父はそういう人です。
留学という経験をただ単に外国で勉強するだけという機会ではなく、自分の目標を達成するためには経済的にも、そして精神的にも強く、自立せなあかんということを学ぶ機会にもしてくれました。
「人生は鈍行列車」という哲学を全うする父に、24歳になってようやく感謝できそうです。
電話もメールもだめなら、手紙を書くか。
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