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華僑のオットは見たところ、ほとんど日本人とかわりません。日本にいると外出中に道を尋ねられたり時間を聞かれたりすることもしばしば。公園で遊んでいた小学生に『どうして英語でしゃべっているの?』と聞かれたこともあります。
そんなわけで我が家の2人の子供たちも見た目はまるきり日本人。でも、『中身』のほうはイギリス人です。少なくとも本人たちの認識は『お母さんは日本人、お父さんはマレーシア人、僕はイギリス人』。
この子供たちがどんな価値観を持った大人になるのかな、と思うときもありますが、たまにどんな伴侶を選ぶのかな、と思うときがあります。どんな価値観をもった、どんな人と一緒に暮らすことになるのだろうか、と。そして正直なところ、どこの人と一緒になるのかしら、と思うときもあるのです。
マンチェスター在住のとある韓国人のお友達には2人の男の子がいます。ガールフレンドはいずれもアジアの国の女性で、友人は『正直言ってほっとしているの。』と言っていました。マレーシアの義母は『私の「嫁コレクション」はインターナショナルよ! あとはどこの国の人がいいかしら?』なんて笑っていますがアメリカ人のお嫁さんとのギクシャクを思うと笑わないとやっていられないのかな、という気もします。
そんな身近な『母親像』をみると『私はどんな風に対応していくだろう?』と思わずにいられません。子供たちが一緒にいて幸せになれるなら、どこの国のどんな人でも良いや、と思ってはいますが実際にガールフレンドだのお嫁さんだの孫だのができてみなくては本当にどんな反応を示すかはわかりませんからね。
『現実』に直面すると今までの意見や考えとはちょっとずれた自分の本当の姿に気づくことってあるではありませんか。ちょっと似たようなことをGuardian紙のFamily欄にLowri Turnerが書いています。My mixed emotionsという見出しでした。
最近3人目の子供を出産した彼女、このたびの子供のお父さんはインド人の男性だそうで、当然子供は茶色い髪で浅黒い肌をした赤ちゃん。上の二人は金髪で『お母さん似』だったのに、理性で予想していた以上に『違い』に戸惑う自分を発見したことについて書かれた記事です。
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