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日曜日のことでした。マンチェスターにすむ中国人の友人がパキスタン人のことをさしてパキといったので、ちょっと驚き、意を決して注意しました。『時と場合、そして言い方にもよるけれど、それはやっぱり蔑称だからあまり軽々しく口にしない方がいいと思う。』私だって、ジャップと呼ばれたらいい気はしません。
とはいえ夫をはじめ、中国人の友人を見ていて思うのですが、一般的に『蔑称』というものに対しての感覚が私とはちょっと違うようです。だいたい、広東語で西洋人のことをクゥアイロウといい、古くからの呼び習わし方のようで一般的ではありますが、これは実のところ『鬼佬』と書きます。香港在住のNaokoさんがコメントに、『西洋人の女性を『クゥアイポゥ(鬼婆)』と呼ぶ、とありました。さもありなん。意味を考えるとさぞイヤになるだろうと思います。
ちなみに私が気になるのは、マレーシア人が香港の中国人のことを指してHonkiesと言う時。言葉の響きがなんともいやな感じがします。が、どうやら私が言葉の響きから感じるほどの感情はこもっていないようで、『どうしてそう些細なことを気にするのか。』といわれるのが落ちです。もっとも、近所に住むイギリス人女性(65歳)が会話の途中で『ニグロ』といったこともありましたから、言葉に対する感性は個人的な感覚はもとより、育った文化や生きてきた時代によっても左右されるのでしょう。
こんなこともありました。香港生まれ、イギリス育ちの友人が『僕はバナナだからね。』というのです。いったいどういう意味かと思ったら、『外側は黄色いけれど、中は白いからさ。』さらりと答えたので、なんと言おうか迷ってしまいました。自分で自分のことを言うにしても、卑下するわけでもなく、事実だからという感を漂わせてこういうことを言う、というのは新鮮な驚きです。
我が息子たちも『バナナ』に育つでしょうが、言葉遣いにどんな感受性をもった人になるのでしょう。
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そういえば、1994年から98年まで中央アフリカ、カメルーンに住んでいたのですが、町を歩いていると「Blanche!(そこの
白いの!)」と白人を呼ぶのと同じ呼称で呼ばれていました。彼らにとって<白い>のは砂ぼこりで汚れているか、ひどい病気の時かなのでいいイメージではなく、私もいつも嫌な気分でしたね。