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サダム・フセインがとうとう絞首刑に処された、というのが今朝のトップニュースでした。死刑の判決が下りてから、『死刑』について取りざたされるのをちょくちょく耳にし、今月タイムで読んだ記事とあわせて興味深く思っているところです。
タイムに載っていたのはイタリアはタスカニーに埋葬されたテキサスの死刑囚についての記事。状況証拠によって、家族3人を殺した罪で死刑の判決が下されたグレゴリー・ソマース。無実を訴えたものの、判決は覆されませんでした。興味深かったのが、オランダ人のペンパルなどにより、判決を覆すためのキャンペーンが行われていたこと。また、テキサスに葬られるのはいやだ、という彼の願いをかなえるべく奔走した人たちがいたこと、そして、それを受け入れる墓地があったこと。遺体を保存し、アメリカからイタリアの送るのだって、簡単なことではないでしょう。
遺体を墓地に受け入れるBenefactorになったのは、ピサの東、工業地帯のCascinaという土地のMaria Carmela Carrettaという女性。middle schoolの先生で、雑誌で記事を読んで以来、6年生のクラスと一緒にこの件を追っていたと言います。生徒たちも陳情の署名を送ったそうで、ソマースの遺言により、棺には彼らの名前やメッセージがイタリア国旗の3色で記されたとの事です。
死刑の是非。理想と現実の間には難しい問題がいろいろあるのはわかります。でも、ラジオで聞いた言葉が忘れられません。『サダム・フセインは自分の犯した罪に対して、責任を負うべきであるし、下された判決は判決である。しかし、個人的に人間がほかの人間を殺す「死刑」という刑罰には反対なのだ。』
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