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blog title  Asian Fetish をどう考えるか May 23, 2006

いつか書こうと思いつつ、なんとなく書くのを恐れていた禁断の話題、西洋人のアジアフェチについて、今日は皆の意見を乞おうと思う。

アジア人女性、とくに日本人女性はアメリカでよくもてる。 アジア人好きの男たちをAsian FetishやRice Chaserと呼んだりする。アジア人を見ればとりあえず声をかけてくる人もいるが、そんなことで声をかけられるのも気持ち悪いものである。この現象の理由を色々考えて、自称アジアフェチ軍にインタビューもしたけれども、「もてる」理由がいまいちはっきりしない。考えられるのは:
1.アジア人女性は従順で素直だと思っている
2.アジア人女性は簡単におとせると思っている
3.アジア人女性の外見がエキゾチックだと思っている
4.アジア人女性を男尊女卑の儒教社会から解放する使命感を感じている


アジアフェチを問題視するかどうかは、その理由が正当かどうかを考慮しなくてはいけない。2の理由は個人的にどうかと思うが、例えばここ台湾、東京、その他のアジア都市では西洋人好きの女性も多く、結局は需要と供給の問題かもしれない。ただこの場合、服装やお化粧と違い、アジア人の見かけは変えることができないので、アジアという人種グループにある一定の恋愛観を求めるのはやはり間違いだと思う。1の理由を堂々と唱える人はほとんどいないけれども、アジアフェチにそういう期待感は多少あるような気がする。確かに日本で育った女性とアメリカで育った女性だと意思表示の仕方が違うとは思うが、なんといっても個人差が激しいので、まあ Good Luckといったところだろうか。ただ私はそういうアジアフェチを発見した場合、全力でそのステレオタイプ破壊に挑むことにしている。

さて、私が考えあぐねているのは、3や4の理由でアジア人女性を好む人たちである。3の場合、人種じゃなくても、「猿顔が好き」とか「スポーツマンが好き」などの個人的な好みはあるわけで、たまたまアジア人の見かけが好きという単純な好みを問題視すべきなんだろうか。堂々とアジアフェチを認める友達に「だって仕方ないじゃん」と開き直られてしまった。この点については、外見は恋愛において重要かというもう少しフレームの大きい議論で扱ったほうが良さそうだ。4についても、はっきり自覚している人は少ないと思うが、1とのセットでこういう心理状態がたまにあると思う。ある人類学者が日本人女性と西洋人男性の関係を Sexual Allianceと呼んでおり、往々にして日本にいる西洋人男性には4の心理が働いていることを指摘している。さて、これをアジアフェチの文脈でどう解釈するか。結局伝統的な男尊女卑社会はアジアに限ったことじゃないわけで、女性の解放という目的だけでアジアフェチになるのは飛躍し過ぎ、絶対に他の要素が働いているはず。ただ、アジア人女性とたまたまお付き合いした結果、4の心理状態になる可能性はあると思うし、別に問題ではないと思う....。皆さんはどう思う?

投稿者: 茶谷 さやか 日時: 4:56 PM |


コメント

このトピックを扱ってくれてありがとう。アジフェチ(もしくはもっと嫌な言い方をすれば「黄熱病」にかかっている人)は、私にとって大変苦手なグループの人々。まず「私」という個人でなく、「アジア人女性」としてしか見られていないようで、結構不愉快。1.-4.の要因の中で、どうしても3.が一番強く出てる気がするのは私だけかしら?

一番むかつくのは、道端でよく「Are you from China? 」と聞かれること。別に中国人に間違えられたからというのではなく、「アジア人女性」だからアプローチしてるという心理丸出しでしょ。

当然「アジア人」であることは私の重要な要素であることには間違いないけど、やっぱりアジフェチで一番頭にくるのは、私という個人を無視して、アジア人としての要素にだけ注目して、アジア人だから好きという態度を示す点かな。西洋人・白人男性大好きのアジア人女性の存在も悲しいなぁ。外見にどうしても注視してしまうのはわかるけど、もう少し「個」を見ようよと思う。



同感!



 はじめまして。大学院博士過程で研究している学生・兼研究員です。白人性を核とする人種主義のグローバル化について調べている過程で、あなたのMay 23, 2006の記事を読みました。記事に標記された件についてをあなたが問題視している点には共感しますが、その手法ないし切り口は不十分であり、事態を批判的にはとらえ損ねてしまっている、と思います。以下に少しばかり批判的な見解を述べさせていただきます。

 記事を一読して、グローバル化された性関係の人種差別主義的な編成(白人・男/東アジア・女、フィリピン・女/フィリピン国外・男、他)について、あなたはいわば直観的に事態が進行している点を限定的ながら把握しつつも、十分に精密な背景的知識を持ち合わせていないために、問題を個人的な行動の水準で分節化してしまっていることが分かります。
 端的にいって、あなたが事例を挙げている類の性関係は、人種差別主義の私的実践であり、しかも「個人」の「理由」や「好み」といった、私的「意図」をいわば下部から規定する、構造的な現象なのですーーこうした知見までも、「私はそう思います」と限定する必要はないでしょう。私たちの社会が近代に根を持つ人種主義によって組織されていることはあまりにも明白なことです。
 けれども、自由主義的な法原理を採用するかぎり、この構造的な犯罪性を十分に批判することはできません。この問題は、たとえば法学(アメリカ国内だけではない)の分野で批判的人種理論というかたちをとって議論されているところです。必要なのはしたがって、自由主義的な法そのものを作り替えること、あるいはべつの政治的原理を創出する、という容易ではない作業です。
 もしあなたが、あなたのいう「個人的」な考えを超えて、事態を厳密に理解したい場合には、関連する研究に触れる必要があります。日本語では藤川隆男編『白人とは何か』、アメリカでの研究書としてKimberle Crenshaw著 Critical Race Theory, Yen Le Espiritu著 Asian American Women and Menなど、数多くあります。また、文化研究の方面では酒井直樹『死産される日本語、日本人』が立ち入った検討を行っています。

 こうした人種差別主義的な構造化された性関係への自発的隷属は、あなたが用いているような「個人」の「理由」や「好み」という語彙によるかぎり、それが「隷属」であるとは決して理解されないことになります。
 また、この現象を「白人・男/東アジア・女」という限定された視点からではなく、いわゆる発展途上国の女性が、「メール注文花嫁」などとして婚姻関係や性サーヴィス産業へと数多く「輸出」されている事態と平行関係でとらえる必要があります。こうした移民論的な視点からすれば、「日本人女性が白人にもてる」というのが、「フィリピン女性が日本人にもてる」というのと同様の錯覚であることが分かりやすくなるのではないでしょうか。



Y.P.Mさん、
詳しいコメントありがとうございます。全くの専門外ですので、知識不足のためアカデミックに批判的に切り捨ててしまうことができないのは、おっしゃるとおりです。今後も勉強を続けたいと思います。

ただ、私のnarrativeの論調に関して言えば、「人種差別主義的な性関係」を構造として捉える批判理論の視点に共感しつつも、言説のパワーのフコー的な捉え方にも一理あると思います。つまり、個人のレベルでどうパワーが働いているのかは、そのlocal contextによって全く違うということ、その結果、外部の構造に支配された選択をした個人をどう責めるのか、に関して、私にはまだ煮詰まらない結論しか出せません。たとえばジェンダーに関して、「化粧」をどう捉えるのか。私自身がその構造に反発しても、「化粧」という制度に飲み込まれた人口全てを問題視すべきなのか、その個人個人が置かれたcontextを理解する必要はないのか、という疑問が湧いてくるわけです。同じ様に煮詰まらない結論を出していますが、私の批判理論に対する態度をもう少し詳しく http://www.securitygirl.net/sayaka/?p=40 に書いていますので、もしよかったらコメントなどいただけるとうれしいです。



 お返事ありがとうございました。
 ローカルな限定された脈絡の中で行為・選択等を理解する必要については、私もその通りだと思います。先に記したコメントでは、私的な実践を「下部」から規定する「構造」云々と、マルクス主義風の構図を借用し、その局面を強調したのですが、そこに還元して事態がよく把握されうるとは私も想定しておりません。

 話はずれますが、ブログの著者紹介欄にある「More」の部分を先日はクリックしていなかったので、茶谷さんがマルクス主義やグラムシに関心をもっておられるというのは知りませんでした。また、東アジアの比較政治と政治理論を学んでおられ、哲学書は危険、と書いておられるのにも、興味を持ちました。私自身はその哲学を研究しており、制度上の研究員としては広い意味で「政治」に関連する集まりに現在参加しています。研究の必要上、中国語と韓国語も学びはじめておりまして、意外に共通項が少しはあるのかもしれません。
(ちなみに、たいしたことではありませんが、「批判理論」というと特定の学派を連想させてしまう場合があるかと思いますが、私はその学派に関連する議論をとくに念頭に置いているわけではありません。)

 戴いたコメントを読みまして、それこそ私個人の局所的な視点から、最近偶々読んだ米軍基地に関連する或る新刊本の構成について思うところがありました。というのも、その書物 --- 図書館の新刊本コーナーにあったのですが、すでにどこかに配架されてしまっており、タイトルが分かりません --- は、日本や韓国などに置かれた米軍基地が引き起こしている数々の問題(主権の蹂躙、性犯罪、環境破壊、等々)を分析し、外交の現実主義的な政策立案とは全く異なる立場から、「アメリカ」の軍事・経済・文化的なプレゼンスに対する根本的な批判を試みており、したがって米軍廃棄へ向けた議論や提案を全体として行っているのですが、しかし他方で、米軍兵士との婚姻関係を有する基地周辺の一部の人々(この場合、女性)について取材・調査した論文が一つ収録されており、そこでは、その「女性」たちがかかえる問題について、おそらくは記述者の批判的な立場を括弧入れしているのでしょうが、批判的であるよりはむしろ中立的、部分的には「共感的」でさえある語り方が用いられていました。
 この書物はこのように、問題を原理的に解決しようとすれば両立しえないように見える観点(一方は、米軍廃棄。他方は、基地に依拠した一部の親密圏に内属する経験の尊重)を、統一された議論の整合性のもとに収斂させるのではなく、異質の視点をいわばコラージュしたままに保持しているわけですが、後者の記述は、事態を批判しつつも、個々人が置かれたローカルな文脈での経験をいかに汲み取るか、という難しい問題に対する、一つの暫定的なありうべき応答となっているのではないかと思います。
 ただしこれは、論理的な解決ではなく、暫定的な応答であり、状況の特異性を考慮した責任への自己拘束、その意味での政治的な判断であろうかと思います。問題が「実践的」に込み入ったかたちで組織されているこのような場面では、大抵の場合、論理的(ないし「理論的」)に透明な結論は得られないのではないかと思います。

 このような意味での応答を、一部の婚姻や生殖活動 --- 生命を再生産する場 --- に認められる人種と性差の組み合わせにおいて極めて偏った現象に関して、例えば次のように定式化できるかもしれません。
 第一に、まずもってそれを組織している人種差別主義そのものの廃絶を目指す必要がある、ということ。けれども、第二に、この普遍化可能な要請によって、人種差別への意図的ないし非意図的な加担(かつて人種差別に意図的に加担したが、現在はその悪を自ら否定する、という人々も存在しうる)という今日の現象における、経験の複雑な多様性を抹消してはならない、ということ --- これらの両立しない二つの要請は、なるほど矛盾したものですが、しかし他ならぬその矛盾によってこそ、私たちを当該の特異な状況へ拘束し、そこへの政治的な介入を可能にする、そのような法として引き受けることが、実践的に可能なのではないでしょうか。
 事態は矛盾している、しかしこの矛盾こそ、その二重拘束(ダブル・バインド)によって、状況を特異に組織化するものであり、そこにこそ事態を改善していく場が生じているのだ、と。


【「化粧」について】
「化粧」や「整形手術」という現象に関して卑見を申しますと、この慣習・制度が今日担っている一つの問題点は、茶谷さんが別稿で言及しておられるように、メディア・広告を介した資本主義的な消費活動によって強化された異性愛、年齢、階級、そして人種などの物象化・内面化にあり、そして最後に挙げた「人種」の物象化によって、上述の事柄に通底してくるのだと、まずは理解いたしました。
 そのうえで、第二の問題点として、茶谷さんは、α)自ら日々化粧をしながら整形手術や物象化された化粧を批判するのは偽善的であるが、しかし、β)標準化された「美」の規範によって容貌に対するセキュリティを持ちえない人々に、化粧や整形をしないよう促す権利を私たちは持っているのか、との問いを提出しておられます。そして、もはやこのような場面では、γ)こうした人々に、私はセキュリティの感覚を与えることはできないとしか言えない、と。

 第一の点についてはその通りだと思いますし、第二の点については、γで示された見解はその通りだと思います。βの問いの主旨には共感しますが、ただし、この問いを(しばしば感じることですが)「権利」という概念によって分節化することで、法・政治の特定の型を前提してしまうかもしれない点には注意しなければならないのではないか、と感じました。
 αに関しては、化粧という慣習一般(化粧X)のうちに、衛生も含めた身だしなみや、おしゃれなどの楽しみに属する要素(化粧Y)があるのだとすれば、化粧Yを営みつつ、化粧Xに含まれる物象化された化粧を批判することは、必ずしも偽善ではないのではないか、と思いました。

 私自身の例を引きますと、私は眼鏡を使っており、その「おしゃれ」に少しは気をつかうのですが、100円眼鏡でも見えればいい、などというのは、消費を介した社会生活を営むことの軽視につながるでしょうし、かといって眼鏡屋さんも例外ではない物象化された商業広告や欧米中心的な付加価値に抵抗を感じないというのでは、「市民」として陶冶されているとはいえないと思います。

 ここでの問題は、化粧という制度の内部で様々な異なる営み(身だしなみ、楽しみ、物象化された価値の強化...)を区別することが、明瞭な境界線を往々にして引けない、という点にあるのではないか、と思いました。

 標記の人種主義に関しては、一橋大のある若い女性の研究者が、仄めかすようなかたちで、とある論文で「タブー」だと表現していました。茶谷さんもこの記事の冒頭で同様の表現を用いておられますが、しかし、なぜそもそもタブーであり、それがある仕方で「禁」じられていることを、私たちは〈知っている〉のでしょうか --- 私の方からはこの問いを提示させていただきます。この問題に関して、まさに「禁」じられているために、今のところ話す機会があまりないように思われるので、いろいろと意見を伺いたいです。(もちろん、そちらへ送信したアドレスを介してでもかまいません。)
 ブログのメッセージとしてはちょっと長くなってしまったかもしれません。失礼いたしました。



Y.P.Mさん、詳しいコメントありがとうございました。ダブルバインドの話の組み立て方に私も賛同しますが、事態や状況の「把握」や「理解」の段階で起こる矛盾と、「〜すべき」とnormativeに改善を図るその目的の段階で起こる矛盾が同じなのかどうか、ということに興味を持ちました。

化粧の話では、YPMさんご自身ご指摘の通り、化粧の中での営みを明瞭に区別することができないという問題点に共感しますが、「異なった営み(身だしなみ、楽しみ、物象化された価値の強化...)」がグラデーションのように続いているというよりも、完全に重なった形、もしくは完全に混ざりきった状態になっているように感じます。つまり、区別するのが困難というよりも、全く以て無理ということです。さらにいいますと、なぜ化粧が「身だしなみ」や「楽しみ」と捉えられるのか、を突き詰めると結局ジェンダーをめぐる社会構造自体の問題に戻ることになります。アジアフェチの場合は背後に「人種差別」という構造があること自体を問題化し、恋愛というコントロールしがたい側面の営みでありながら個人の好みのレベルで議論することを批判する一方、化粧に関しては、専ら選択可能な制度でありながら、個人のおしゃれ(区別することが可能ならば)ならば、と肯定的に捉えるのは論理の矛盾ではないでしょうか。

「タブー」に関してですが、この記事において確かに私も禁断だと言っていますが、それはただここが「英語タウン」だからであって、別に人種問題が社会的、学問的にタブーである(あるべき)とは思いません。楽しく英語を学ぼうとしている日本人や、日本で暮らす不特定多数の外国人に向かって、初対面で「あなたアジフェチについてどう思う?」とは聞かないので、ここではこのように表記したまでです。私自身は見過ごされた人種構造に興味がありますし、もっと議論され意識されてもいいと思(うからブログに書いたんだし)います。

またご意見ありましたらお待ちしております。



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