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試験の準備あれこれ April 29, 2006
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今日は今学期最後のTAの授業があった。学期の締めくくりは...もちろん期末試験のためのレビューである。先学期の過去問をくばり皆で一つずつ解き、引っかかりやすいところには注意を促した。試験で引っかけてどうするんだ、という個人的な考えがあるので、「なんでこんなにややこしい聞き方するの?」という生徒の文句には同情するしかないが、教授の悪口は言えないので「うーん」と黙っているのみである。実際、試験のテクニックがなくても、論理の思考能力が優れていて、知識も豊富な人たちにたくさん会ってきたので、この子たちが社会にでるときあまり成績に縛られないで評価されるといいなあ、と願う。また、自分が試験を作る側になったときには、こういうことにも気を配らなきゃ。最後に生徒が「この授業がとても楽しかった」「国際情勢の見方が変わった」など言ってくれたので、そりゃもう、何とも言えない達成感である。
ここのところ自分の試験や論文で大変だが、こういうとき、コーヒーブレイクやランチの間に学生同士で批評しあうのが、とてもためになる。お互いの知識をフル稼働させて、お互いが書いている論文や試験について話し合う。前「ピンチのときは」の巻でも話したが、授業そのものより、こういう会話で得るものの方が大きかったりする。受動的な知識(読んで理解する)から能動的な知識(色んな文脈で議論やその批判を使えるようになる)への発展かな。
明日早朝よりボストンです。
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 11:18 AM |
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夏の研究テーマ April 28, 2006
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昨日のエントリーの最後にお知らせしたが、研究補助金を獲得したので、夏の間本当に研究しなくちゃいけなくなった。どういう過程で決定されたのか知らないが、普通は3年生辺りのPhD生が優先されるし、今年の応募は結構多かったので、まさか1年生の私がもらえると思っていなかった。大変ラッキーである。これに伴って、「アジアでのんびりするぞ」計画は変更、しっかりフィールドリサーチしなくっちゃ。
さて、どんな研究のために奨学金を申請したかというと、「台湾と韓国における兵役制度の変化の比較」のためである。大きなテーマは「軍隊と社会の関係、思想上の相互作用」で、民主化やナショナリズムの要素も絡めたい。軍隊と社会の接点は色々あるが、兵役制度はその中でもとってもインパクトの強い政策である。台湾にいたころ、若者にとって軍隊に一定期間身を置くことは色んな意味でBig Dealで、それが思想展開や社会構造に影響を与えてない訳がない、と思った。韓国では兵役制度は今ホットな国内政治/社会イシューでもあるので、懐にもぐりこんで学べることを楽しみにしている。
今回は飽くまで「予備調査」であるから、大発見をしなくてもいいわけで、色んな人に会って話を聞き、どういうことが問題になっているとか、どこにどういう資料があるとか、どういう専門家がいるとか、どういう理論が関係ありそうだとかをウロウロしながら調べるのである。つまり奨学金というより、「ウロウロ」サポート金である。実はソウルでは、これと平行して、韓国語のプログラムにも入るので、とても忙しくなりそうだ。
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 2:29 PM |
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DCの誘惑 April 27, 2006
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試験中なんだけど、今日は久しぶりにスーツなどを着、DCをうろうろする日となった。
お昼に前にも書いたCSISというシンクタンクのKKちゃんに声を掛けてもらい、「Dialogue Among the New Generation on the Future of the U.S.-Japan Alliance (日米同盟の未来を考える若手の対話?)」たるものに呼んでもらい、各分野で活躍する人たちのインフォーマル(といっても学校環境に慣れている私にはいつもよりフォーマルだけど)な集いに参加した。ついていきなり、コロンビア時代の同期の友達を発見し盛り上がる。彼女は米国議会に付属する研究機関で働くアジア専門の研究員である。この世界本当に狭い。。。ディスカッションは、胡錦濤・ブッシュのサミットについてと、日韓関係についてであった。政策関係者の視点と、私が受けているトレーニングで重視するところが若干違うので、興味深かった。
さて夕方はKikoちゃんのボスが「Strengthening Japan-US Economic Partnership: With an FTA?」というパネルで、日本のシニア外交官と経団連の代表と共に講演するというので、それにも参加。

Kikoちゃんのボスはナオタカ マツカタというお方で写真の一番右である。経済関係は私の専門ではないので、新しく学んだことも多い。オーディエンスの中に色んなプロフェッショナルがいたので、どんな人の群れかを見るのもこういうパネルに参加する時の楽しみである。
そして今日の3つ目のイベント、前にも話したフィルムフェスティバルの2本目の映画である。フランスの制作で、イスラエルとヨルダンで作られた「Free Zone」という映画。うーーーーーん。政治的に解釈できないことないがそれだと余りに単純で、それ以上のものがあるとすると余りに複雑すぎる、といった感じだろうか。前のドキュメンタリーの方が良かった。
そして帰宅。ホッと一息ついたところ、ビッグニュースのメールが来ていた。学校付属のアジア研究所より、夏の研究補助金で5700ドルほどゲットです!!! これで台湾と韓国行きに余裕ができた。
というわけで、今日はDCの誘惑に負けた一日だった。明日からちゃんと試験にとりかかります、はい。
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 12:42 PM |
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Ph.Dの意味するところ April 26, 2006
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同じプログラムの友達に「おそろしくおバカな質問なんだけど、Ph.Dって何の略?」って聞かれた。Ph.Dとは英語で博士号のことで、Doctor of Philosophyを略したものだ。もちろん哲学(Philosophy)に関係ない分野でも博士はPh.Dである。どんな分野であれ「真理」の追究は究極の哲学につながっている、という意味だと勝手に解釈している。数学者兼哲学者であったデカルトとかね。まあ最近は「真理があるというのは幻想だ」という考え方もあるので、こういう一種のロマンチシズムに浸るのも簡単じゃない。Doctor of Philosophyと聞いて私がいつもイメージするのは、パスカルの「人間は考える葦である」という文句。真理の有無に関わらず、パスカルの言う通り「考える」ことが人間の最大の特徴であるなら、とことん考えることを宣言するこの職業って、人間の可能性の最前線を切り開く使命があるんだって(これまた勝手に)思っている。
とまあ自己満足な感じの解釈でした。実際のところ、Ph.Dは「学位」であって、つまり学校産業と切り離せない。したがって、前にも書いたようなマーケットのジレンマたるものが生まれる訳だ、残念ながら。
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 1:18 PM |
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バランスの良い日...嵐の前の静けさ? April 25, 2006
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週末から今日にかけて、毎日頑張って勉強すると同時にフラッと息抜きする、というバランスのいい日が続いている。先学期のあたふたぶりに比べると天と地だ。ペーパーのドラフトを仕上げてから教授のコメント待ちなので進められないし、明日持ち帰りの期末試験が言い渡されるので、今日はちょこまかといろんなことをしつつも明日になるまで取り組むべき大きな課題がないので若干手持ち無沙汰だ。明日からの忙しさを考えるとなんだか落ち着かないのであった。試験中ながら、次の週末は久しぶりにボストンへいくことへ決めた。
あまり内容のないエントリーなので写真でごまかそう。
金曜日の夜遊びにきてくれたスローンちゃんとその彼:

今日の午後スミソニアンでやっているスギモトヒロシの写真展にふらっと寄ってみた。スミソニアンは全部ただなのが本当に魅力的。STOPのサインはなんだかかわいかったので。。
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 11:06 AM |
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リアルER April 24, 2006
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ER:Emergency Room(救命救急治療室)。ドラマがアメリカでも日本でも大ヒットだったので、ピンと来る人も多いはず。うちのルームメイトAの彼女DはERで働く救命看護士で、うちに来るたびにぎょっとする話をしてくれる。そしてさすがアメリカ(って日本でもそうかもしれないけど)、麻薬患者とHIV患者がやっぱり多い。運ばれてくる患者だけじゃなく、「私死にたいの!」って駆け込んでくる人も日常茶飯事だとかで、色んなドラマがあるんだなあ。
今日はDeath Rattleの話をしてくれた。Death Rattleというのは、たまーに死んでしまった体の肺が収縮して出る音で、端から見るとゾンビが吠えているみたいだそう。彼女によると、そりゃもう聞くに堪えない「声」らしい。処置の結果命が助からず家族を呼んだところにDeath Rattle、恐ろしい声が最愛の家族の死体から出てくることに驚愕するとともに、遺族はまだ生きていると思い、処置を続けてくれと懇願するパターンがたまにあるそうだ。彼女曰く、死というのはプロセスであって、いきなり全部の動きが止まる訳じゃない。Death Rattleもあれば、心臓が痙攣したりするらしい。そういうときにたまたま遺族がいたら、もちろんまだ生きてると思うので、その現象の原因を説明するのがまた困難な仕事なんだって。
でもERの隅で助からなかった死体がDeath Rattleしてる時に、医者や看護士が「おや、Death Rattle」と気にも留めない様子を想像したら、そのほうが少し恐いけどなあ、と思うのであった。
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 9:03 AM |
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そうだ、トルコへいこう! April 23, 2006
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今DCではフィルム・フェスティバルをやっている。面白そうな外国のインディペンデント系の映画を色んなところで上映している。さすがコスモポリタンDC。見たい映画はいっぱいあるんだけれど期末にかけて学校も忙しいし、二つだけピックアップ。大学からの友人でこちらの法律事務所で働くKikoちゃんにチケットをとってもらって、今日は「Crossing the BridgeーThe Sound of Istanbul」という映画を一緒に見に行った。ドイツ人のロックギタリストがイスタンブールのミュージックシーンを垣間みるというドキュメンタリーである。ヨーロッパでとても人気だったようで、今日もチケット売り切れ満員御礼状態だった。面白いし、テンポもいいし、色んな音楽が聞けて、多文化が放つ、色んな世代のパワーを見ることができた。


終わった瞬間から「このフィルム最高!」とKikoちゃんと盛り上がり、二人とも映画からすごいエネルギーをもらったので興奮状態で帰宅。彼女とはカンボジアへ一緒に行った旅仲間でもあるので、「イスタンブールいついく?」と行く気満々である。しかも話が発展して、Kiko:「人生ってすばらしい」とスケールをジャンプさせた結論...。
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 12:58 PM |
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密かな悩み April 22, 2006
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ちょっとジレンマがある。学部の教授たちには話していないんだけれど、ちょっとした悩みである。政治学は楽しいが、私の興味はどうも歴史学、社会学、政治学が微妙に交差するそのエリアにあるようである。こうやってペーパーを書いていても、参考文献がそりゃもうあちこちのもので、どの教授に読ませても多分「半分しか知らない」ということになる。自分なりに的を絞っているのだけれど、どっぷり浸かれるフィールドがない不安定感みたいなのは否めない。教授の中にはそれを好んでくれる人もいて、確かに目の前にある作品(ペーパー)を書くのになにか支障があるわけじゃない。実際学問の境目なんてかなり恣意的なものだから、そんなことを悩む必要なんてないといえばない。
問題はもっとプラグマティックなところにある。政治学のマーケット、社会学のマーケット、歴史学のマーケットの傾向が違うこと。それぞれで「どんな手法」とか「どんな理論」とか「どんなトピック」がホットなのかが違うのである。人気があるからといって自分の手法を変えられない私。ここにジレンマの元がありそうである。
すみません、ものすごい個人的なことを書いてしまいました...。
今日はCSIS(戦略国際問題研究所)という有名なシンクタンクで行われた、「東アジア、共同の歴史?」というお題で、中国、韓国、日本で最近出版された共同の歴史参考書について専門家が意見を発表するというパネルに行ってきた。うちの大学教授も二人発表。私の感想は...私の政治的思想をバラしてしまうことになる(今更だけど)ので、控えておこう。でも総論として、Good Move!といった雰囲気。そういえばCSISで働くお友達KKちゃんにもご挨拶。友達って職場でみるとまた違う感じだ。
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 6:52 AM |
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フーさんの訪問 April 21, 2006
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いつものように朝自転車で家を出て、さんさんと降る太陽の中いい感じで一日を開始。すると、なんだか...アジア人観光客が多いような...。あまり気にも留めず、いつものようにホワイトハウス前を通って近道しようとしたら、なになに、なんかすごい人。

スピーカーから流れる音楽、拡声器から聞こえてくる中国語。これは、もしや!
そう、胡錦濤の初めてのホワイトハウス訪問を祝う人、デモする人でごったがえしている。

台湾独立を支持するグループや

法輪功や

チベット解放運動グループなどが騒ぎ、

Welcome Hu Jintao! みたいなグループも反対側でダンス。
デモ自体は台湾の総統選を経験した身からみればかわいいものだったが、ホワイトハウス前がつっきれなかったので遠回りさせられ、しかも林家ペー並みに写真をとっていたので、あやうく学校に遅れそうになった。確かに昨日のニュースで来るって聞いてたけど、それが自分の通学路の変更を意味しているところまで気が回らなかった。まだまだDC住人初心者な私である。
学校でNYタイムズをチェックしたら、歓迎式典で胡錦濤がスピーチ中に法輪功の女性がいきなり叫びだし中断させたことがニュースになっている。この女性がまた「胡錦濤,你的日子不多了!(フージンタオ、あんたの時代はもう終わりなのよ!)」と叫んだとか。しかもおもしろいのがブッシュが胡錦濤に向かって、「You're OK.」ってなぐさめたらしい。NYTのこのページでその様子がビデオで見れる。
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 11:47 PM |
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っぽいこと。 April 20, 2006
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前述したペーパーをうなりながら書いている。ペーパーを書くのは嫌いではない。特に本能的に理解しにくいことを筋道たてて論じ、自分の言いたい結論にうまく結びつけられると、快感!の一言である。でも途中で自分の勉強の足りなさや議論の弱さに気付くこともあり、やはり自分の議論は(情けないけど)書いてみるまでいまいち善し悪しがわからない。
まあとにかく、一日パソコンの画面をにらんでいると何がつらいって、目が疲れるのである。焦点のあわない目をしょぼしょぼさせながら窓の外を眺める。今日はとってもいい天気だなあ、と思っていたら同期のSLが急に電話してきた。
「フランシス・フクヤマを見に行こう!」
2時間後にWoman's National Democratic Clubというところで、James Mannとの対談があるという。政治学をやっている人ならご存知だと思うが、フクヤマは『The End of History and the Last Man』という有名な本を書いた人で、SAISという国際関係のプロフェッショナルスクールで教える教授である。思想史に造詣が深い上に、アメリカ外交政策のブレインとしても活躍する、学問と政策の難しいバランスをとっている珍しい人物である。わたしも自分のTAの授業でフクヤマの書いた記事などを使うし、DCにいるくせにそういえば生フクヤマを見たことがない、ということでチャリンコを飛ばし対談をききにいった。

名前から推測できるだろうが、日系人である。話の内容は、最近彼がよく書いているアメリカのネオコンの思想的原点や最近までの発展、イラク戦争にいたる政策決定などについて。ジェームス・マンのほうも実は有名な政治ジャーナリストだが、私としてはもっとアカデミックなフクヤマの話に釘付けである。
というわけで、ペーパーのブレイクとして、ちょっと「DC」っぽく、ちょっと「政治学の学生」っぽいことをやってみた。たまにはいいかも。
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 3:15 PM |
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華僑のおかげ April 19, 2006
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ご覧の通り、私はどこからどう見てもアジア人な顔をしている。しかもお化粧しないし、日本のメディアにも触れないので、微妙に日本人に見えない。ここアメリカでは、いいとこ日系アメリカ人(American Born Japanese: ABJ) か、中国系アメリカ人(American Born Chinese:ABC)くらいに思われる。
台湾には、なぜか「日本人女性=色白美人」というステレオタイプがある(ってメディアのせいなんだけど)。台湾で一夏過ごせばそりゃこんがり焼ける訳だが、タクシーの運転手に日本人だという話したら、「おねえさん、絶対台湾人でしょ、日本人じゃないはず。そんなに焼けてるもん。」という扱いを受け、面倒くさいので、そうです台湾人です、と何度か化けたことがある。その他の東アジアの国では、一人でうろうろしようものなら、必ず現地人に道をきかれる。(そして多くの場合くせで台湾人なので分かりません、という。)他の人種の土地でも、よく華僑に間違えられ、世界各国で活躍する華僑のおかげで、私もとりあえず見た目だけは現地に馴染みきれるのである。(といってもいざ社会の深みに入る時は「外人カード」の出番だが。外国人であることの巻参照。)
うちの相方はピンク色のスカンジナビア人(ピンク色人種の覇権の巻参照)で目の玉は緑と黄色なので、私とまったく反対の経験をする。アジアのどこにいっても外人さんである。まだ私が台湾に住み始めて間もない頃、当時東京にいた相方が遊びにきた。当時の私の中国語レベルなんてまったく幼稚園児レベル、一方相方はペラペラなのに、相方が台湾人に道をきいても、絶対私に向かって答えてくる。相方の中国語は幻だったかのような扱いである。同じことは中国でも韓国でもおこるのでもう慣れっこだが、こういうこともあって、『韓国語勉強しなくちゃ』という気にもなるのである。
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 12:33 AM |
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携帯電話に保険 April 18, 2006
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って日本でも普通かけるものなんだろうか。アメリカで携帯を買ったときに、月に数ドルの保険料を払えば携帯が故障した時に無料でとりかえられますよって言われた。携帯が壊れるってそんなめったにないでしょ、と思い無視したが、「携帯が今壊れてて」っていう人が私の周りに5人いる。
アメリカの携帯電話とインターネットのサービスはひっじょーに悪くて高い。都会の真ん中なのに電波が入らないし、電話機自体も日本の携帯の何世代前だ?といった作りですぐ壊れる。機種購入後リベートで50ドル返却、とかいっても返ってきた試しがない。「高速」であるはずのネットもすごい遅いし、大体とりつけ工事を頼んでも絶対時間通りにやってこない(なんど電話で喧嘩したことか!)。値段が高いのは、DCの法律事務所で働いている友人Kちゃんによると、テレコム関係の法律に問題が大有りらしい。それにしても、どうしても解せないのは、受信電話にもお金を払うこと。電話をかけた側と受けた側、ダブルチャージである。ホント台湾や韓国のほうがよっぽど便利だ。アメリカはIT先進国じゃなかったっけ?!いくら国土が広いといえど、もう少しなんとかなりそうなもの...。
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 12:42 PM |
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ピンチのときは April 17, 2006
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ペーパーを書いている。というか書こうとしている。内容に興味がある人のために一応テーマを記すと、軍隊と国民国家の関係を近代主義、ポスト近代主義の両方から解釈しようとしている。もうちっと簡単に言うと、「なんでみんな国家にとって軍隊は必要不可欠だと思うようになったのか?」という問いについて、非常に抽象的なレベルでアレコレ考えているんである。テーマ自体が壮大で一生分の学業生活をかけて探るつもりのお題なのに、教授にそそのかされて、いえ、励まされて今からとりくみ始めた次第である。あまりに興味がありすぎて、考えがぐるぐる回り、まとまらない。これからの学業の理論的基礎になるかと思うと、なにやらプレッシャーも大きい。しかも今週ドラフト提出である。ピーーーンチ!!!
そう、ピンチのときは、同志と話すべし。友達はジェノサイド(大量虐殺)についてペーパーを書こうとしている。しかも私と同じく思考回路のグルグル現象でピンチのようだ。そこでお互いが考えているところ、つまづいているところなどを吐き出すように話してみた。するとびっくり、私の知識が彼の、彼の知識が私の問題点を解決。いきなりBreakthroughである。
といっても書き始めたら絶対また壁にぶつかるんだけど。。。その時はまた色んな友達と情報交換しよう。
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 10:07 AM |
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人生の変わり目 April 16, 2006
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人生の転機とやらは急に現れたり中々現れなかったりする。私の場合はある意味ある方向へ向かってジグザグに進んでいるので、曲がり角の角度がそれほど大きい訳ではない(ような気がする)。それでも自分で方向転換してきたつもりだし、慣性の法則に逆らってよいしょっと動くのはちょっと勢いがいるんである。
博士課程には、大学や修士を卒業してすぐ入学してきた学生一直線の人もいれば、何年か働いてやめてきた人もいる。ある友達は私と同じ歳でいて、大手銀行で年俸ウン千万円をもらっていたのを、すぱっと仕事をやめてプログラムに入ってきた。しかも金融とは全く関係ない、ドイツの政治思想をやっている。また違う友達はウェブデザイナーをやっていて、これまたウン千万円稼いでいたところをやめて、アカデミアに入ってきた。彼は民族紛争の専門である。この人たちに比べれば、私の方向転換なんて直線に近い。彼らにとって学業をすることの機会費用はものすごい高いんである。しかも博士号をとった後も、それなりには稼げるがお金持ちになれるわけではない。特に後者の彼は工事現場で日雇いで働く貧乏生活から這い上がってきた人なので、「よくリッチな生活手放す気になったね」と言ったら、「確かに稼げるようにはなったけどね、だからなんなの、と思うようになった。ボーナスもらう度に、なんか社会に反抗したくてマクドナルドで食事してたよ。」という。彼にとってお金はあるとあれこれ心配するから、余分なお金はむしろ邪魔らしい。前者の彼も、「ビジネススクールに行きたくないって言うのが大きな理由だったけど(笑)、やりたいことはお金には変えられない。」ということらしい。
私は失うほどのものを持ってないからとっても身軽だ。自分一人くらい何やったって生きていけると思っている。でも慣れてしまった物質的生活を手放すのって勇気がいるんだろう。家族がいれば責任もあるだろうし。でもやっぱり、やりたいことして生きている実感は何事にも変えられない。そして人生の転機は自分で作らなくてはやってこない。
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 7:37 AM |
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本日のシェフ April 14, 2006
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ルームメイトJはPass-Overを祝いにNYの実家へ、もう一人のルームメイトAは彼女とシナゴーグへ行ったので家中が静かだ....。そして私は次のペーパーにとりかかるのである。内容のあるエントリーが書けなくてごめんなさい。
今週は金曜日は皆の都合が悪いということで、(って別に毎週集まらなくても全然かまわないよって言ったんだけど)かわりに今日(木曜日)集まった。最近一緒にテニスをしている同じくPhDプログラムの友達Eが本日のシェフ。中国人だけに中華料理を披露してくれた。

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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 11:13 AM |
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ユダヤ教のPass-Over April 13, 2006
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今日はユダヤ教のPass-Overという祝日で、ユダヤ人のエジプト脱出(エクソダス)を記念する日である。うちのルームメイトは普段(食べ物以外)特に信仰のために何かする、というわけではないが、多分クリスチャンにとってのクリスマスみたいなファミリートラディションなんだろう、これだけはちゃんとお祝いするみたい。というわけで、ルームメイトA、 J、Aの彼女Dがお祝いする様子に混ざって一緒にご馳走してもらった。
ちゃんとした祝い方について色々説明してもらったけれど、おおまかにいうと、今日の日没より8日間パン、ご飯、パスタ、お菓子、コーンといったものは食べられない。そのかわりにマツォスというクラッカーを食べる。これは、エジプト脱出の際にパンを焼き上げる時間さえなく、急いで発たねばならなかった先祖に思いを馳せるためらしい。ディナーの前には、エクソダスがどうおこったかの物語を延々と読む。今日は簡易バージョンだったけれども、結構これがぐっとくるのである。お話の途中で「ワインを掲げ」や「マツォスを掲げ」などのインストラクションがあるが、その間に「リクラインしなさい」というのがある。なんじゃそりゃ、と思ったら、奴隷の身から解放された自由を祝う為に、リラックスした体勢をとれ、ということらしい。なんだか!感動してしまう!
Jと信仰について話していたら、彼の場合は特にユダヤの神を信じているというわけではないらしい。彼にとって、ユダヤ教の伝統を守ることは、65年前ハンガリーで、ユダヤ人であることで殺されてしまった、大叔父、大叔母さんたちに敬意を表するためらしい。ユダヤの文化と歴史って本当に複雑で濃い。

AとDが物語を読んでいるところ

JがPass-Overのディナーを作っているところ
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 12:28 PM |
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遠距離を乗り越えるTips April 12, 2006
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前回のエントリーでは遠距離になったら続かなくなりそうな恋愛と友人関係について書いてみた。別に自分が百戦錬磨の経験があるわけじゃないので、恋愛については書く度に恐縮なんだけれども、とりあえずどうしたら遠距離恋愛がうまくいくか、について周囲の友達の経験を参考にしてリストアップしてみよう。
1. お互い生活が充実していて、いい友達に囲まれている。
遠距離じゃなくても大切なことだが、たとえ一人でも楽しい時間がもて、相手もそうであることを願うことができる関係は強い。ストレスがたまっている時、悲しいことがあった時は一段とつらいものだが、いい友達がいると、孤独でもない。「忙しい」っていうのは私の中ではキーポイントだけれど、普段忙しく、デデーンと長期休暇がとれるなんて学生くらいなものなので、それは外してみた。
2. 次に会う目処がついている。
いくら先でも、会えると分かっていれば、待つ甲斐ありである。といってもうちの相方は「じゃ来週行くよ」って急に東京からNYに飛んだりしたものなので、サプライズもあり。友達で、8年間彼女と付き合ったのち(そのうちのべ6年ほど遠距離)、別れることにした子がいるが、それは「次に会う目処がたたなくなってきた」かららしい。確かに遠距離をすると、1年経つのがあっという間、「ええ、6年も?!」と思うけれども、本人にとっては結構早かったのではないかと思う。
3. 家族や友達に全面的に応援してもらっている。
遠距離の関係になってしまっているのは恋愛だけじゃなく、家族もそうである。となると、貴重な2週間の休みを家族と過ごすか、相方を過ごすか、という選択はつらい。いっそのこと皆と一緒に過ごしてしまえ、ということになり、お互いの実家に居候することが多い。また、親に移動代を支援してもらうという、大変ラッキーは場合(私)もありうる。友達に関しても、時間に融通をきかせてもらったり、モラルサポートをしてもらったり、貴重なのである。
いろんな関係やコミュニケーションの仕方があるから、「週に何回電話すべき」とか細かいことは人によって違うと思うけど、上の3点は多分共通して言えるのではないだろうか....な?
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| 投稿者: 茶谷 さやか 日時: 4:51 AM |
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遠距離で続かなくなる関係 April 10, 2006
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さて、いざ遠距離恋愛/友情について書こう、と思って色々考えてみたが、いろんなパターンがあって理論化(しなくてもいいけど)するのは難しい。とりあえず、遠距離になって続かなくなる恋愛関係っていうのはなんだろう。
− 相手のことをよく知らない(知り合ってから月日が浅い)関係
− 長期間の付き合いがあっても、共通の経験のみに頼った関係
第一の要素はとっても分かりやすい。年に数えるほどしか会えない時、ほとんどは相手が何しているか想像し、無条件に信頼するしかないので、「何考えてるんだろう」といった迷いや嫉妬がおこるようでは、遠距離恋愛はつらいだけである。第二の要素は、普通の関係ではあまり問われることはないが、遠距離の状況ではまことに大切な点である。いわゆる、”context-specific"な関係、つまり同じ状況で同じ経験を分かち合ってきたことによる関係は、その状況が変わってしまうと壊れやすい。逆に言えば、信念や夢や強い価値観などを共有していないと、たとえ毎日電話をしても、話すことが段々なくなるのである。
この二つの点は友人関係にもあてはまると思う。どんなに仲が良くても、価値観や信念を分かち合う仲でなければ、久しぶりに会っても段々昔話が多くなり、しまいには話すことがなくなる。逆に、随分連絡をとってなくても、会えば最近考えたことにお互い共感したり、未来志向の話ができる友達というのがいる。
というのが、私の今のところの所見だけれども、皆さんはどう思う?
次に続く...。
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