|
|
 |
サマータイムのお話 October 31, 2006
|
 |
|
日本ではあまりなじみのないサマータイム。
イギリスではついこの間の29日、サマータイムが終わりました。そしてサマータイム中の日本との時差は8時間でしたが、今は9時間に戻りました。
毎年3月下旬の日曜日にサマータイムが始まり、10月下旬の日曜日にサマータイムが終わります。

イギリス南東部、イーストボーン(Eastbourne)にて。日の長い夏。
ちょっと説明いたしますと、3月下旬の日曜日の午前0時、私たちは時計の針を1時間早めます。サマータイムが始まりますと日曜日の午前0時は午前1時になるわけです。
つまり寝る時間が1時間少なくなります。ちょっと損した気分でサマータイムを迎えます。
そしておとといの29日の午前1時、私たちは時計の針を1時間戻します。サマータイムが終わりますと日曜日の午前1時は午前0時になるわけです。
つまり寝る時間が1時間増えます。ちょっと得した気分で冬を迎えます。
サマータイムの意義は緯度に関係しているらしく、樺太と同じくらいの緯度に位置するイギリスは夏と冬の日照時間があまりにも違います。
ですから冬になりますと朝、真っ暗な中で目を覚まし、出かけるときになるとようやく明るくなり、仕事や学校が終わる夕方4時にはもうすでに真っ暗になるわけでございます。
しかし夏は逆に朝5時にはもう明るくて夜10時でやっと暗くなります。そんな太陽の恵みをもっと長い時間浴びていたい!と思ってサマータイムが生まれたそうです。
サマータイムがなければ夏は夜9時で暗くなる、というわけですね。
日本でも実は1948年、サマータイムを導入したそうですが、国民から不評だったということで52年には廃止されたそうです。
余談ですがサマータイム(Summer time)はイギリス英語、アメリカ英語ではデイライトタイム(Daylight Time)、又はファストタイム(Fast time)でございます。
ときどき「サマータイムは英語じゃない」なんていう方もいらっしゃいますが、これはちゃんとした英語です。
サマータイムが終わりを告げると、いよいよ長い冬が始まります。
|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:46 AM |
|
 |
ダンロップのお話 October 29, 2006
|
 |
|
今回は2社目のダンロップ社についてでございます。
自転車のお話でスコットランド人の獣医、ジョン・B・ダンロップがローヴァーなどで使われていた従来の木製、又は金属製の車輪よりも衝撃と騒音をかなり減少させることに成功した空気タイヤを開発いたしました、とお話しました。
そう、まさにジョン・B・ダンロップ(John Boyd Dunlop 1840~1921)こそが今のダンロップ社の創設者でございます。

彼は1840年2月5日、スコットランド南西部の土地の農家で生まれました。
ジョンは秀才だったようで、19才でEdinburgh Veterinary Collegeで獣医の資格を取りました。しばらく獣医としてエディンバラですごしておりましたが、隣の島にあるベルファストに引っ越します。
ベルファスト(Belfast 英国北アイルランドの首都)で獣医としての腕を磨いているときでございます。彼はベルファストの道は自転車にとってとても走りにくい道路だと感じておりました。
ある日、ジョンの息子さんがこぎづらそうに三輪車を乗っているときにゴムでできたタイヤにしたらどうなるんだろう?と考え始めます。
従来の車輪にゴムのシートを貼り付けてみたり、クッションの役割を果たすために膨らませる工夫をしたりと考えに考えて、ついに1888年、今のタイヤの原型とも言えるゴム製のタイヤが生まれました。
ですが、実はすでに1845年、ロバート・W・トムソン(Robert William Thomson)があみ出していたそうですが、ジョンは知らなかったそうです。
ですからジョンがダンロップ・ラバーカンパニー(The Dunlop Rubber Company)を設立する前はロバートと法的に戦わなくてはなりませんでした。
まぁ結局はロバートの原案はダンロップに売ることになり、翌年の1889年、ダブリン(Dublin アイルランドの首都)にダンロップの工場ができました。
そして1921年ジョンは退職、そしてダブリンで亡くなりました。
彼の功績は現在でも受け継がれ、今では世界中にダンロップ社がございますね。
初めは獣医さんだったジョンが、たった一つの事柄をとことん追求していくことで、また彼の人生が変わりました。これが彼にとって良かったのか悪かったのかはもちろんジョンが決めることですが、ジョンの何かを探求する努力と勇気は本当に素敵ですね。
|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:29 AM |
|
 |
ローヴァー社のお話 October 27, 2006
|
 |
|
先日、自転車の歴史の中で、W.K.スターリーとW.サットンが1885年、「ローヴァー」という名の新しい自転車を開発した、とお話したと思います。
ローヴァー、ROVER。車が好きな方はご存知でしょう。
残念ながら今はもう、経営破綻のため、先月初めにMG ROVER社は車両の生産を中止したそうですが、道を歩けばROVERの車を愛用しているドライバーをたくさん見かけます。
今日はローヴァー社の始まりのお話。
1854年、ペニーファージングという庶民に親しまれた自転車を開発したジェイムズ・スターリーの甥、ジョン・ケンプ・スターリー(John Kemp Starley)は、ロンドン北東の郊外、ウォルタムストウ(Walthamstow)で生まれました。
そして1872年からしばらく、叔父のジェイムズと一緒にペニーファージング(エアリエル)の製作に携わります。
時は5年後の1877年、ジョンとウィリアム・サットン(William Sutton)はStarley & Sutton Coという会社を設立。ペニーファージングよりも安全な三輪車(トライセクル tricycle)を開発し、世の中は三輪車とペニーファージングが流行しておりました。

そののちに今の自転車の原型とも言われる後輪駆動の「ローヴァー」を開発します。二輪でペニーファージングよりも、三輪車よりも安全であるということで人気を博す、はずだったのですが、「ぶさいくな形」と当初は不評だったようです。
実は1888年にジョンは電気自動車を作っていました。しかしこれは工場で生産されることはなくあくまで試験的にだったようですね。
1889年には社名をJ. K. Starley & Co. Ltdに変え、さらに1890年後期には「The Rover Cycle Company Ltd.」へと変わりました。
1901年リーダーでありましたジョンが亡くなります。その3年後の1904年、ついにエドマンド・ルイズ(Edmund Lewis)がデザインしたオートモビル、ローヴァー8ができました。

こうしてローヴァー社は自動車産業へと方向を変えていくことになります。
100年以上の歴史がそろそろ止まりますね。本当に残念です。
|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:56 AM |
|
 |
自転車の歴史のお話 October 25, 2006
|
 |
|
子供のころは補助輪をつけて走っていたほど、今や当たり前の乗り物をなった自転車。
そんな自転車の歴史はおよそ1820年ごろから始まります。
と言いましても、その時代の自転車というのはペダルのないだた足で地面を蹴って進むものでした。
1861年、「ペダルの父」と呼ばれるピエール・ミショー(Pierre Michaud 1813~1883)が初めて前輪のクランクとペダルのついた自転車を発明いたしました。
そして1861年、ついにイギリスにも輸入されましたが、木と鉄でできた車体は走行時の衝撃が激しくボーンシェイカー(Bones shaker)と呼ばれていました。
乗りづらかったミショーの自転車をより人々の身近にさせた人物がジェイムズ・スターリー(James Starley 1830~1881)とウィリアム・ヒルマン(William Hillman)で、彼らは「エアリエル(またはアリエル)」と呼ばれるすべて金属でできた軽量自転車を開発いたします。
車輪の大きさの比率で「ペニーファージング(Penny farthing)」と呼ばれて親しまれた自転車は1878年にはもうすでに5万台がイギリス内で走っていたそうです。
ちなみにアメリカでは「オーディナリー(Ordinary bicycles)と呼ばれていました。

ペニーファージングが全盛期の19世紀後半、すでに新しい自転車の開発が進んでおりました。
H・J・ローソンがチェーンによる後輪駆動の車高も低い安全な自転車を開発、のちにスターリーの甥、ジョン・Kスターリー(John Kemp Starley 1854~1901)と、ウィリアム・サットン(William Sutton)が1885年にセイフティ自転車、ローヴァー(Rover)を開発。これが今の自転車の原型となっております。

そしてこれをさらに改良したのがスコットランド人で獣医のジョン・B・ダンロップという人物で、1888年に従来の木製又は金属製の車輪に代わる空気タイヤを開発し、走行中の衝撃と騒音を劇的に少なくさせました。
車、バイク好きの方はもうお気づきですか?今、私は今や誰もが知る2社の創設者をお話いたしましたよ。
そのお話はまた今度ということで。
|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 8:16 AM |
|
 |
自転車のお話 October 23, 2006
|
 |
|
日本に帰ってたまにびっくりするのが、歩道を歩いているときに後ろから自転車に「ちりりん」ってならされるとき。きっとみなさんも経験がおありだと思います。
ロンドンでは自転車は歩道を走ってはいけません。または歩道に設けられた自転車専用道路を走るか、車道を走ります。ですので自転車とバスの事故は絶えず起こっております。。
しかし、きちんと交通のマナー、ルールさえ守っていれば、歩行者にとって安全、自転車も車道のわきを通って走るわけですからスムーズに走れるわけですね。
そんな中、やはり絶えないのは自転車の盗難です。
そしてここは日本ではありません、ヨーロッパです。
自分の物は自分で守らなければいけませんので、自転車をどこかに置いてきたときは鍵はもちろん、サドルさえも取って出かけるのです。

友人の協力で写真を撮らせていただきました。
中にはサドルではなく車輪を取る人もいらっしゃいます。つまりは鍵だけでは安全ではないということ。
せっかくの大事な自転車。盗まれたくはありませんよね。
日本でもどこでも、自分の持ち物の徹底管理を。
|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:26 AM |
|
 |
ダヴィンチのお話 October 21, 2006
|
 |
|
私がよくお話に出しますVictoria and Albert Museum(通称V&A)では1月までレオナルドダヴィンチ展が開かれております。
日本でも六本木ヒルズでレオナルドダヴィンチ展が11月13日まであるようですね。
みなさんもご存知のレオナルドダヴィンチ(1452~1519)、彼はイタリアのルネッサンス期の画家であり、建築家であり、彫刻家であり、そして科学者でもありました。
彼の偉業はここでは語りつくせないので今回は私がV&Aで何を見たのかだけをお話いたします。
こちらはダヴィンチが設計した空を飛ぶための機械を模型にしたものです。
ミュージアムの天井からつるされておりました。

レオナルドダヴィンチ展の中は撮影禁止でしたのでお見せすることはできませんが、彼のノートには鳥の羽の部分から胸部までのスケッチと、そしてそれとどう人の体をコンバインさせればいいのかを描いておりました。15世紀にここまでの設計図を書くとは驚きです。
そしてこれは人を殺す機械です。大量に人を殺すにはどうすればいいか。
このテーマは悲しいことに500年以上経った今でも研究し続けられていますね。

光が反射してよく見えにくいですが、中に人が入りこの機械を動かすようです。
今の戦車の原型にも見えますね。
ダヴィンチが思い、考え、研究したたくさんのことは21世紀になった今でも色あせることなく輝いています。
ちなみに絵画のほうでは、ナショナルギャラリーに「岩窟の聖母」がございます。手直しした後の作品です。とても近くで見れますので、興味のある方はぜひ。
|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:29 AM |
|
 |
アフタヌーンティーのお話 October 19, 2006
|
 |
|
先月のお話になりますが、日本から友人がここまで遊びに来てくれたときのことです。
ロンドンにはたくさんの見るべき、知るべきところが山ほどありますが、いざ住んでしまうと「いつでもいける」と先延ばしがちになってしまいます。
そんなときに日本からの来訪者が来てくれますと、私も一緒に新しい観光地へ行けるきっかけとなりますのでとても嬉しい&助かります。
そして「ロンドンって楽しいね」なんて聞きますとなおさらです。
さて、そんな友人と一緒にロンドンといえば「アフタヌーンティー」でしょうということで、初、高級なアフタヌーンティをしてみました。
ホームステイしていたころも週末は大きなお庭でステイ先のご夫婦と一緒にアフタヌーンティーを楽しんでおりました。ジンジャークッキーと黒猫さんと一緒に。夏場は本当に素敵でした。
話は戻って、ここに住んでいるのでこちらのホテルにも縁のない私たちはサヴォイという、1889年創業、老舗の高級ホテルでのアフタヌーンティーをセレクトいたしました。
平日は予約なくてもおそらく大丈夫でしょうが、週末は予約しないと無理だそうです。
さて、こんな感じでマフィン、ケーキ、サンドイッチが運ばれてきました。

ブルーチーズのサンドイッチがとくにおいしかったです。
紅茶はサヴォイオリジナルとアールグレイ、アッサムを飲みました。
本当に本当においしかったです。香りがもうなんともたまりませんでした。
紅茶もマフィンもケーキもサンドイッチもすべておかわりできます。
たっぷり食べてたっぷり味わって楽しんでください。
|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:33 AM |
|
 |
オベリスクのお話 October 17, 2006
|
 |
|
エンバンクメント(Embankment)駅からすぐ、テムズ川沿いにエキゾチックな石碑がございます。
あまり人目には触れられていないような気もいたしましたが、これは知る人ぞ知る、古代エジプトのオベリスクなのです。
オベリスクとは、ギリシア語では焼串という意味で、古代エジプトの記念碑でございます。
こちらのオベリスクは「クレオパトラの針」(Cleopatra's needle)とも呼ばれています。

このオベリスク、なんと紀元前15世紀ごろ、当時のエジプト王トトメス3世が作らせたもので、アレキサンドリアのカエサリウム宮殿の正面に飾られていたそうです。しかし19世紀に海没しそうになったため、一本はロンドンに、もう一本はニューヨークに運びました。
なぜロンドンに?と思いの方もいらっしゃると思います。このオベリスクは1798年アブキール湾の戦い(アブキール:アレキサンドリアの北東約15kmにある地名)と1801年アブキール平野の戦いにフランス軍から勝利した記念としての戦利品にしようと考えたのがきっかけのようです。
余談ですが1798年のアブキール湾の戦いで活躍しましたネルソン提督は今でもロンドンの街中に位置するトラファルガー広場の石碑の上から街を見下ろしております。

こちらがトラファルガー広場。後ろ向きですが碑の上にはネルソン提督がいらっしゃいます。
さて、このオベリスクがロンドンまで運ばれるのは80年という長い年月がかかったそうです。いろいろなトラブルがあったようですね。そして1878年1月21日、ようやくテムズまでやってきました。
オベリスクはヒエログリフでスフィンクスの姿をしたトトメス3世が描かれております。
しかし悲しいのは、パリのオベリスクはコンコルド広場、ニューヨークのオベリスクはセントラルパークの中という、目立つ位置におかれておりますが、ロンドンのオベリスクは景色はすばらしいですがなんとも人の通らない寂しいところにございます。そして少し風化しているようにも見えました。
ロンドンにいらした際はぜひこのオベリスクをご覧になってください。
|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:18 AM |
|
 |
フランスおみやげのお話 October 15, 2006
|
 |
|
またまたお隣の国、フランスのグルメのお話です。
服はイタリア、食はフランスと言われているくらいフランス料理はおいしさで有名です。
そんなフランス料理の代表的なもの言えば、オイスター、エスカルゴ、ウサギのお肉などでしょうか。。。
ウサギの肉はラム肉が大好きな方はきっと食べられると思います。
ラム肉とはまたちょっと違ったくせがあって私は大好きです。
さて、そんなおフランスディナーのお話よりも、私のオススメ紹介を(笑)
パリのスーパーでおいしいジャムとハチミツがあるのです。

ビンがハチミツです。ラベンダーのハチミツなんですよ。さっぱりとした甘味がなんともたまりません。本当においしいです。もちろんほんのりとラベンダーの香りがいたします。
友人のオススメはバラのハチミツだそうで。まだ食べたことないのでいつか手に入れたいと思います。
そしてチューブの方は、ジャムと言うよりはペーストでしょうか。栗のペーストなのです。
ヨーロッパの栗と日本(中国?)の栗は形から違います。
そんなヨーロッパの栗のペースト、ほのかな甘さでクラッカーなどで食べるとおいしいのです。
もちろんまとめ買いしたのは言うまでもありません。
|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 8:08 AM |
|
 |
ドレスのお話 October 13, 2006
|
 |
|
前回、昔の女性のドレスについてちょこっとお話いたしました。
今回はその話をメインにしてみました。西洋服飾史とでも言いましょうか。
それはそれは昔のお話、フランスの、特にロココ様式時代からの女性のドレスのスカートはとても大きくて、大きければ大きいほどよいものとされてきました。その時代のファッションですね。
ロココ調とは1723年から60年ごろまでの装飾様式のことを言います。ルイ15世の時代ですね。
時は過ぎて1850年代半ばのフランス。女性の間でクリノリンというスカートを膨らませるための下着(?)が流行します。
クリノリンがまだなかったころ、女性たちはスカートのボリュームを出すために何枚ものペチコートを重ね着しておりました。最低でも6枚の重たいペチコートを履いていたわけですからそれはそれは日々の生活が大変だったでしょう。
そんな女性たちの悩みを解消させたのがクリノリンです。
こちらは1858年ごろクリノリンです。(V&Aミュージアムより)
ドーム型のスカートの形をキープさせるために鋼や鯨骨で作られています。
これのおかげでペチコートの重ね履きをする必要はなくなったのですね。

そしてヴィクトリア時代のロンドンではパンチ誌という、面白く人々の生活やその時代のトレンドのイラストを載せる雑誌がございました。
そのパンチ誌7月9日号にこんなイラストがございました。

「さて彼女はいったい何人分の料金を払ったのか?」だそうです。
まさかここまでの席をとる女性はいなかったでしょうが、それでもなにかしらこのようなハプニングはあったと思われます。
これを見て私は前回、パリのベンチの隙間はこれを解消させるためか?!なんて考えたわけでございます。
|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:35 AM |
|
 |
メトロのベンチのお話 October 11, 2006
|
 |
|
先日、パリに行って参りました。
なにせユーロスターでロンドンのウォータールー(Waterloo)駅からパリの北駅(Gare du Nord)まで2時間半でついてしまうのです。
25歳以下の方はユース料金で安く乗れます。ご参考までに。
隣の国までちょこちょこ足を運べるなんてとっても魅力的でしょ?
先日もスペインのお話で飛行機のチケットの話をしたと思いますが、列車も同じ、早め早めにチケットを買うと安いです。日本の列車の値段はいつ買っても変わりませんが、こちらは混み具合と値段が比例します。空席が多ければ安く、少なければ高くなります。
時には2万円もの差がございますのでお気をつけください。
さて、パリは溢れんばかりの魅力が詰まった街ですが、それはぜひ実際に訪れて感じてください。
ここではパリの不思議をお話します。
不思議といいますか、私が個人的に不思議だなぁと感じたことですが。。。
メトロのプラットフォームには確実にベンチがございます。
そして駅ごとに違う形や色をしているのでとても面白いのです。

ちょっと不思議な感じがいたしませんか??

ベンチとベンチの間にかなりの空間が設けられているのです。

気になったのは私だけでしょうか。。。
どうせなら多くの人が座れるように隙間なくベンチを配置すればいいのに、どうしてこんなに大きく間隔が開いているのか、ととても疑問を感じたわけです。
まさか昔の女性のドレスのせい?!なんて思いましたが時代が違います。ほら、昔はとてもふんわりと大きなドレスが流行していたでしょ?
それともよほど他人と触れあいたくなかったのかしら。。。
まぁこのようなパリのベンチ事情をロンドンからお届けいたしました。
|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 8:00 AM |
|
 |
ロンドンの傷あとのお話 October 9, 2006
|
 |
|
サウスケンジントン(South Kensington)エリアにございますVictoria & Albert Museum。
ここは昔から今のたくさんのデザインワークを見ることができる私の大好きなミュージアムです。
そんなミュージアムの西側の壁はとても傷ついておりました。

明らかに弾痕ですね。
いつの時代のものかはこう書かれてありました。

「The Damage to these walls is the result of enemy bombing during the Blitz of The Second World War 1939-1945 and is left as a memorial to the enduring values of this great museum in a time of conflict」
そう、第二次世界大戦に起きた、ロンドン大空襲のときの傷跡のようです。

もちろん私はそのときは生まれていないし、テレビ、本からか祖母の口からしか情報を聞けなかったものですからこう、傷跡を生で見たときの衝撃といったらありませんでした。
なんだか、ロンドンの別の顔をみた感じがいたしました。
|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:26 AM |
|
 |
ロンドンアイのお話 October 7, 2006
|
 |
|
一度は乗ってみたいと思っていました世界2位と言われる大きさの観覧車、ロンドンアイ。
ついに先日乗る機会がございましてオレンジの光で包まれるロンドンの町並みを見下ろすことができました。

1カプセルおよそ20人乗り、真ん中には座るところもございます。
いつもなが~い列がございますので、前もってチケットを取っておくか、それとも夜の9時前ぎりぎりにチケットを買いますと並ぶことなくすいすいと乗れます。ご参考までに。
そしておよそ40分かけて一周するわけでございます。

こちらは北側の景色ですね。近代的建物の駅が見えます。

こちらは南側でございます。ゴシック建築の代表、ビックベン(国会議事堂)が見えます。
イギリスはあまり蛍光灯がございません。ある人の話によりますと蛍光灯の光はあまりにも強すぎるそうで。
おかげでこちらの夜は温かみのあるオレンジの光に照らされて、ほんとにとってもきれいなんです。
夜の、飛行機の窓から見下ろしたイギリスはたっくさんのトパーズ、ときどきダイアモンドだらけの島でした。
ぜひ夜飛行機に乗ってください。そして空からブリテン島を見てください。
一時間だけ、海賊な気分になれます。
|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:38 AM |
|
 |
そらのお話 October 5, 2006
|
 |
|
霧の国と歌われるロンドン。そう、確かにこちらは曇り空が多いです。
夏はとても日が長く朝4時半には明るくて、夜9時半に夕焼けを見るくらいです。
その代わり冬は朝8時にようやく明るくなり、夕方4時にはもう真っ暗。さらに曇り空が多いわけですからみなさん晴れの日にはここぞとばかりに日向ぼっこをいたします。
私もここに住んで5年目、おかげで太陽のありがたみを感じられるようになりました。
まだ日本の暑い夏には慣れませんが。。。(笑)
そしてこちらの雲の動きはとても早い気がいたします。
私は先日、5分で晴れて、曇って、雨が降って、雷が鳴って、また晴れたという経験がございます。
日本もきっと今頃は涼しいでしょうか。
そして晴れた日にはぜひ公園の芝生に寝転んで空を見てみませんか。
大陸は離れていても本当に空は繋がっているんだなぁなんて、しみじみと感じた加奈でございます。

|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:25 AM |
|
 |
一期一会のお話 October 3, 2006
|
 |
|
海外での経験で何が一番すばらしいことか、それは「人との出会い」だと思います。
一期一会という言葉が頭の中にたくさん出てきた時期がございまして、それは私が語学留学生のときでした。
私が通っていた学校では2週間だけの人から1年の人まで、そしていろいろな国からいろいろな思想を持つ人がひとつの建物に集まって英語を習っていたのでございます。
私が一番初めにできた違う国の友達は韓国人の女の子でした。彼女は3ヶ月だけ夏休みを利用してロンドンで英語を勉強しに来ていました。そしてあっという間に彼女が帰る日がきて、ヒースロー空港で別れ悲しんだのを覚えています。
それを初めにヒースロー空港で「さよなら」を言う機会が多くなりました。
帰る国が違うというのはなんともせつないものなんだと実感しました。
いつの間にか見送る側になっていました。
そこで思い浮かべる言葉が一期一会ですね。たとえ帰る国が一緒でも違っても、今、私の周りにいてくれる人といつ、遠く離れるかわかりません。
ですから私が大事だと思う人たちへ、精一杯の誠意を持って接していこうと思うようになりました。
まぁ今はKeep in touch(連絡を取り合う)ことは簡単でしょうが。。。
常に「連絡は受身型」の私にとっては難しいものです。(最近はちょっとずつですが「自分から」を努力しております。笑)
出会える喜び、別れる寂しさ、英語だけではなく人とのつながりもロンドンでは学ぶことができました。
だからこそ英語を話す機会も多くなったのかもしれませんね。

さて、ちょっと今回のお話は番外編のようなお話でした。ではまた。
|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:25 AM |
|
 |
泥落としのお話 October 1, 2006
|
 |
|
今回も家に関するお話です。
ロンドンの街中の、中流階級以上の方々が住んでいたとみられるお家の玄関先には、小さな洞窟のようなものがございます。

これは靴の裏についた泥や砂を落とすための泥落としですね。
きれいなカーペットが敷き詰められた家の中を汚してしまったらいけませんものね。
そして泥落としはひとつひとつ、一軒一軒デザインが違うのです。
これは猫の形をしている泥落としでございます。かわいいでしょ?きっとこの家の主人は猫好きだったのかもしれませんね。

しかし今はきれいにコンクリートや石版で舗装され、土の道を歩くことはなくなりました。
泥落としはもう必要ないのですね。
昔大活躍してくれた泥落とし。ときどき磨り減っているものも見かけました。
今はどうやらゆっくり休んでいるようです。
|
 |
 |
| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 8:00 AM |
|