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窓のお話 September 29, 2006
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だいぶ前に、ちょっとだけ窓にかかる税金のお話をしたと思います。
今回はもう少し詳しくお話させてください。
建物が好きな私にとってはとても興味深いお話でしたので。
時は18世紀後半から、イングランドで最も不健康な税金と言われた窓税。一番窓税が重かった時期は1808~1823年の間で、窓が6つ以下の家で年間6シリング6ペンス(今の相場でおよそ160円)から8シリング(およそ195円)、7つで年間1ポンド(およそ220円)、9つあると年間2ポンド1シリング(およそ450円)もの税が課せられたといいますから、貧しい人々は窓のない暗い家の中ですごしておりました。
(中流階級で平均年収がおよそ150ポンドです)
しかし1823年には窓税は半額になり、25年には8つ以下の窓の家は税金免除になりましたが、住人は余計な出費をかけたくない、そして窓屋さんも必要な場合のみだけ窓をつけようとしなかったそうで、イングランドのほとんどの家は8つ以下の窓の薄暗い家で暮らしていたそうです。
そしてついに1851年、窓税が廃止になりました。ちょうどこのときはクリスタルパレスという、すべてがガラスでできた大きな建物の中でロンドン万博が行われた年で、ガラスの値段も安くなったというのでようやくイングランドの家々の室内にも明るい日差しが差し込むようになりました。

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| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:28 AM |
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有名人の家のお話 September 27, 2006
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築100年以上も経つイギリスの家々。内装は住んでいる人の好みで変化しているでしょうが、壊されることなくずっと同じ地で私たちを見守っております。
そして100年も経っていればひとつの家でもいろいろ人々が世代を超えて暮らしていたわけでございます。
ロンドン中心の家の壁のあちらこちらに見えるこのブルーの看板。

実はこれ、「昔ここに○○という有名人が住んでいましたよ」という看板なのです。
この家にはWilfrid C. Bluntさん(1840~1922)という詩人であり冒険家の方が住んでいたそうです。
今はきっと子孫のご家族か、それとも違う方が住んでいるかもしれないこのお家。この偉人は生涯どのようにすごされたのでしょうか。

いろんなところで見ますのでぜひ探してみてください。きっとみなさまが知っている偉人の家が見つかるかもしれません。
そして私はいつか、夏目漱石が住んでいた家を探してみようと思います。
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| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:29 AM |
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文明開化のお話 September 25, 2006
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先日のお話の続きとも言いましょうか、今日は福沢諭吉とヨーロッパのお話です。
福沢諭吉さんのプロフィールをちょっとお話いたしましょう。彼は1834年、中津藩(大分県)の身分の低い武士の家で生まれ、オランダ語と英語を学び、若いころから西欧の新しい学問に通じていました。

福沢諭吉は使節団の通訳として欧米に赴き、「富国強兵」をスローガンに掲げる日本のためにたくさんの知識や情報を探します。それが1862年のお話。
例えば郵便制度。これはフランスでの発見でした。諭吉は「どうして小さな紙切れ(切手)を貼った手紙を箱(ポスト)に入れただけで相手に届くのだろう?」と4日間人に聞いて回って納得し、「なんてかしこい方法だろう」とびっくりしたそうです。
そして鉄道ですね。しかしパリ、ロンドンと、日本の鉄道の決定的な違いがございます。
イギリス視点でお話いたしますと、1836年の2月、場所はロンドン郊外バーモンジーのデプトフォード(Deptford)からスパロード(Spa Road)の間で初の鉄道が生まれました。これはロンドングリニッジ鉄道会社(London and Greenwich Railway company)という会社が作りました。
そしてロンドンでは競って違う鉄道会社が違う路線を作るようになりました。

(London's Transport Museumより)
ですから今、ロンドンには大きな駅がおよそ6つほどございます。そして駅それぞれの路線を持っていて、イギリスの北に行きたければキングスクロス駅(King's Cross)、南に行きたければヴィクトリア(Victoria)駅、海外に行きたければウォータールー駅(Waterloo)と分かれています。
しかし日本の鉄道は違いますね。東京駅が北から南まですべての路線をカバーしております。
そして日本最初の鉄道はイギリスから購入したそうです。
他にも学校、病院、動物園などなど、諭吉にとっては新鮮なお話ばかりで、そして1866年に「西洋事情」という本を出版。いよいよ日本近代化の幕開けとなりました。
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| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:54 AM |
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ロンドン万博のお話 September 23, 2006
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先日のオムニバスのお話でちょっとロンドン万博のお話が登場いたしました。
今回はロンドン万博と日本の関係に焦点をあてたお話。
日本でも愛知万博が行われ、今や世界で恒例のビックイベントとなりました万国博覧会。
実はこの、ロンドン万博が一番最初の万国博覧会だったのです。

初め、といいましても、各国で博覧会や大きな催しは前々からありました。しかし世界中のものを集めて世界の人々に見てもらおうという博覧会は今までなかったのだそうです。
1851年5月1日、ハイドパークでクリスタルパレスという大きな会場で開かれました博覧会。「世界の工場」と歌われていたイギリスは工業生産物に対する賞をほとんど獲得し、他国は食料品や手工品などの賞をとりました。
これはイギリスがいち早く工業化を果たし、工業製品の供給国としての地位を確立したイベントでもありました。
そんな時、日本ではちょうど幕末のころで鎖国中、そしてペリーが来航する1年前にオランダよりこの話題が紹介されました。「全硝子の鉄拵(こしらえ)」とクリスタルパレスのお話と、会場が盛況している様子が伝えられました。
そんなお話を耳にした日本政府は海外視察ということで使節団を欧米に派遣いたします。ここで有名なのが福沢諭吉さんですね。
彼は1858年、通訳としてヨーロッパに赴き、ロンドン万博を見物し、たくさんの発見をいたしまして「西洋事情」という本を出版いたしました。
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| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:44 AM |
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オムニバスのお話 September 21, 2006
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またまた乗り物の歴史のお話でございます。
時は1820年代のパリ。そこではオムニビュス(omnibus)という、たくさんの人が乗れる公共の馬車がございました。
そんな便利な乗り物をぜひロンドンにもと、パリで馬車製造のお仕事をしていたジョージ・シリビア(George Shillibeer (1797-1866)がジョン・カビル(John Cavill)とともにオムニバスビジネスを展開いたします。
ジョージのオムニバスは3頭の馬で引く20人乗りで、1829年7月4日、バンクからパディントンまでの間を運行することになりました。

日本では第11代将軍徳川家斉が活躍していたころでございます。江戸時代後半ですね。
さて、そんなオムニバスは新たな路線を持ったオムニバス会社が続々と登場。そしてさまざまな形のオムニバスがあらわれます。

こちらは2頭立てで屋根の上にも乗れる新型です。1855年の写真でございます。
きっとこれが後のダブルデッカーのさきがけになったのだろうと思われます。
オムニバスが本当に市民の足として活躍したのは1851年でございます。この年はかのロンドン万国博覧会がありまして、博覧会に訪れたたくさんの人々の混乱を救ったわけです。
さらに、鉄道には1等~3等と等級があったのに対し、オムニバスには階級的な差別はございませんでしたし、1ペニー(今の相場でおよそ2円)で利用できました。
しかし、中流階級の方々の中にはオムニバスに乗るところを見られたくないと思う方もいましたし、そして良家の女性がオムニバスに乗ることははしたないと考えるという風潮もあったようでした。
なぜなら「馬車を所有していないからオムニバスを利用している」と見られるのが嫌だったのだそうで。
そして1900年1月に、英国初のガソリンで動くモーターオムニバスが登場いたします。

こちらは1909年のモーターオムニバスでございます。これが今日のロンドンバスの原型ですね。これをきっかけに馬のオムニバスからモーターオムニバスへと変わっていくことになります。
最後の馬のオムニバスが走ったのは1911年10月25日のことでした。
ちょうど明治時代が終わるころのお話です。
画像はLondon's transport Museunのサイトから抜粋。
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| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:29 AM |
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馬車のお話 September 19, 2006
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先日のバスのお話から今日は歴史のお話。
もちろん昔々は車という便利な乗り物はなかったわけで、馬とともにあらゆる場所へと向かっていったわけでございます。
お話はヴィクトリア朝の19世紀半ばごろ、ロンドンには約2万5千頭の馬がおりました。ヴィクトリア朝が終わろうとしていた20世紀目前のころ、自動車が出てきますが馬の数は減ることはなかったそうです。
そんな馬車はやはり上流階級者のステータス。持っているか持っていないかで階級が変わるといいます。中流階級の平均年収£300では到底馬車を持つことなど不可能に近かったといいますから、たとえ馬が2万5千頭もいた!とはいえ自家用の馬車持ちはそう多くはなかったと思います。
余談ですが当時のお医者様は馬車に乗って往診するものと決まっておったそうで、馬車を持たない医者はまったく信用がなかったそうで。

ビクトリア朝が終わったころ、長い間ずっと愛されてきた馬車とエンジンがついた自動車の入れ替わりという歴史的変化というものはあまり見られなかったようで、自動車も多くは馬車大工が作った内燃機関を持った馬車だったそうです。
私たちがイメージする自動車が出始めるのはもうちょっと先のお話です。
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| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 8:10 AM |
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バスのお話2 September 17, 2006
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London's Transport Museumのサイトで旧式ダブルデッカーの画像がございましたので載せます。

1939年の写真なのですが、もうこの時代には今でもたまに走る旧式バスの形が出来上がっていたようです。性能などはもちろん向上していたのでしょうが、67年前からずっと変わらないバス。お別れするのは本当にもったいないですね。
そんな旧式の後をがんばるこんな形のバスも多く見られるようになりました。

私は「ダックスフントバス」と呼んでいましたが、正式には「ベンディバス(Bendy Bus)」らしいです。
ちなみにBend=曲げるなどの意味がございます。
ベンディバスの真ん中はアコーディオンのようになっているでしょ?ここが右折、左折するときにBendするのです。
バスの運転手さんはたくさんのトレーニングを積んだと思われます。
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| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:53 AM |
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バスのお話 September 15, 2006
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ロンドンのバスといえば赤い2階建てのダブルデッカーですね。
お土産ショップなどにもミニダブルデッカーが所狭しと並んでおります。
ですがお土産ショップのミニダブルデッカーはもう走っておりません。すっかり旧型と呼ばれるようになりました・・・。
幸運にも先日たまたま見かけましたがほとんどはもう新型に変わっております。
こちらが旧型です。

旧型はドアがなく、オープンな後方から乗り降りします。なのでバスがゆっくりと走っているときや止まっているとき、慣れた人は停留所関係なく乗り降りいたします。(ですが個人の責任ですよ)
そして席についたら車掌さんが切符を売りにまわってきます。
後方のポールにつかまって風を感じつつ次の停留所まで待つ時間はなんとも心地よかったです。
そんな歴史的バスももう寿命だったということと人件費削減のためということで、新型に変わりました。今はバリアフリーを考えて段差の少ないバスも増えております。
前のドアから乗って運転手さんに切符を渡し、後ろのドアから降ります。
こちらが新型です。

旧型を見かけたらきっとその日はラッキーデーです☆
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| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 8:28 AM |
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私の好きなパブのお話 September 13, 2006
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スタンフォードブルック(Stamford Brook)駅から南に下っておよそ7分の、テムズ川沿いに4年前、私が語学学生時代によく行っていたパブがございます。

私はここが一番大好きで家も近くなったのでたまにご飯がてら友達と一緒に行きます。
4年前のメニューとは変わっておりますが、パブの雰囲気は相変わらずのんびりしており、そんな時間を刻む空間の中でわいわいおしゃべりがなんともたまりません。
そしてまたここでお食事がてらギネスをたのみましたらなんともかわいらしいクローバーが泡の中で咲いておりました。

わかりますか??よ~く見てみるとうっすらとクローバーが浮いているのがわかりませんか?
なぜクローバーなのかと申しますと、ギネスはアイルランドが発祥の地。そしてクローバーはアイルランドのトレードマークなのです。
泡の極め細やかさのおかげでできる技ですね。
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| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:56 AM |
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カティサーク号のお話 September 11, 2006
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私の好きなエリアのひとつ、グリニッジはDLRで中心街からおよそ20分。
東経、西経ともに0度の子午線が通っている所ですね。
週末はマーケットで賑わいをみせております。
そんな素敵なエリアにどどーんとありましたのがカティサーク号。(Cutty Sark)
1859年に進水して以来、中国やインドから紅茶などを運ぶのに活躍した船だそうです。
船内も見てまわれますよ。

150年も前にこんな大きな船がインド、中国まで行き来していたなんてなかなか想像できませんね。
一体どれくらいの月日がかかるのでしょうか。。。
この時代だかはさだかではありませんが、紅茶は船の長旅の間に緑茶のお茶葉が長時間発酵されてできたものだとか。
初めて紅茶を飲んだ人はこの新しい発見にびっくりしたに違いありませんね。
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| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 8:33 AM |
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つりたまのお話 September 9, 2006
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さて先日DLRのお話をいたしました。
今日はそのDLRの中のお話。
DLRだけではなくロンドン地下鉄でもそうなのですが、こちらのつり革はつり玉なのです。

しかし最近の地下鉄はつり玉が徐々になくなっています。District Lineの古い型の地下鉄にございます。
私は背が低いのでつり玉はなかなか届かずつり革とどっちが楽なのか比べることもできず。。。
はてさてどっちが疲れにくいのでしょう??
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| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:37 AM |
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DLRのお話 September 7, 2006
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先日の、カナリーワーフのお話のなかでちょっと触れたと思いますが、DLR(Docklands Light Railwayドックランズライトレイルウェイ)という、ロンドン地下鉄とはちょっと違う列車がございます。
DLRはロンドン南東部を走る列車で、ロンドン市内からグリニッジやロンドンシティエアポートまで、幅広く活躍しております。
そんなDLR、面白いのは最前列に乗れること!
普通は車掌さんのための部屋が前にあるのでこんな風景をみるのは初めてでした。
DLRはすべてコンピューター制御システムのようで、一応車掌さんらしい方はいらっしゃるようですが、あくまでドアの開け閉めだけを管理しているようです。

なんだか遊園地のアトラクションに乗っているようでした。

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| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 8:04 AM |
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マーマイトのお話 September 5, 2006
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マーマイト(Marmite)というのはご存知でしょうか?
オーストラリアではベジマイト(Vegemite)の方が主流ですね。

一見チョコレートソースに見えますが、実はこれは野菜酵母エキスの集まりのいわゆるジャムです。
パンに塗って食べるのがオーソドックスな楽しみ方です。
しかしこれは好き嫌いがはっきりいたします。私も昔、ホストマザーがおいしそうにパンに塗って食べていたので私もチャレンジしましたが、いやぁしょっぱい。
ただしょっぱいだけでおいしくない。。。
しかもチョコ好きな私はついついチョコレートソースだろうと勘違いをしましたので裏切られ感でいっそうおいしいものではなくなってしまったのでした。。。
そんなある日、またマーマイトを食べる機会がありましてね、えんやこらとチャレンジいたしました。
そしたらなんともまぁおいしいのなんのって!すっかり味覚がイギリス人に変わっていました(笑)
塗りすぎだとしょっぱいのでうす~く塗るのがポイントです。バターと一緒にどうぞ☆
なぜおいしいと思えるようになったのかはわかりませんが、私の好きな食べ物になったマーマイト、気になった方は日本にも売っています。ぜひ試してみてください☆
食べたことがある方はいかがでしたか?
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| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 8:49 AM |
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ギネスのお話 September 3, 2006
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イギリスのお酒といえばスコッチ、ギネスですね。
そんなギネスは今や世界中で飲めるものになりました。あの黒ビールよりも濃厚な味はなんとも異国情緒な雰囲気があふれております。
ギネスにはたくさんの鉄分が含まれておりますので貧血気味のかたにはもってこいかもしれません。

そんなイギリスのビールは冷えておりません。サーバーから注がれるエールやラガーも含め、なぜかぬるいビールばっかり。そんな腰のやわらかいビールを水のようにさらさらと飲むのがイギリス流らしいです。
東京にもイギリスパブをイメージしたお店が何件かございましてね、先日私も行って参りました。
そこのパブ(?)のコースターに面白いお話があったのでちょっと紹介までに。
1759年、ギネスの創業者、アーサー・ギネスがギネス発祥の地セント・ジェイムズ・ゲイトの醸造所を年£45で借り受けました。
(昔の£45はいくらかはわかりませんが、今は£1あたりおよそ220円でございます。)
しかし驚くのはその契約期間。なんと9000年という長い契約だったのです!
それから250年近く経った現在、ギネスは世界150カ国以上で愛されるようになりました。
だそうです。空の上でアーサー・ギネスさんはきっと満足そうに見下ろしているに違いありませんね。
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| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 8:07 AM |
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心機一転のお話 September 1, 2006
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ここで執筆活動を始めて早3ヶ月。
実はこのブログの契約期間が3ヶ月でして、継続するかしないか迷っていました。
まぁまだ面白い話はあるので続けられるだけ続けていきたいなと思っております。
いつも読んで下さる方、ありがとうございます。これからもどうぞおつきあいください。
これから読まれる方、遊びに来てくださってありがとうございます。
ここは一応英語のためのサイトなのでね、本当は英語について書かなきゃいけないのかもしれません。。
ですが私にとって、英語というのは知識とか、勉強の一教科とか、長所の一つなどとは一切考えていないのです。
実際「英語話せるんでしょ?すごいね」と言われますけれど、正直答えにつまってしまうんです。
私は人との対話の手段の一つと考えています。この人と話したい、語ってみたい!仲良くなりたい!って思っているうちに自然と出てくるものなのです。
なので私にとって、一人で勉強するものではないのです。「英語」というカテゴリーに入れて、机に向かって一人で「対話」なんてできませんよね。
たくさんの言語を使いたいなら、まずは友達を作ってください。そして実のある話をしてください。
実際、私が英語学校に通っているときの、英語が話せない人というのは大抵他の地域の人との交流が薄い人でした。
「どう話せば伝わるんだ!?」と悩んでください。そうしたら自然に文法もわかってくるはずです。
自分の英語は長い時間かけて成長させるものですから、ゆっくりじっくり根気良く話してください。
と、まぁこれは私の意見ですのできっと賛否両論ありますでしょうが、私の実体験を話させていただきました。反対の方は忘れてください。強制ではありませんので。
最後に、たくさんの国の友達に出会えた環境、日本では体験できない未知の環境に私を快く送り出してくれた、私の両親に大変感謝しております。
ではではこれからも私なりの面白いお話をさせていただきます☆
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| 投稿者: 高橋 加奈 日時: 7:46 AM |
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