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そんなはずじゃ? September 29, 2006
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翌朝ロスのオフィスに出社すると、早速副社長から呼び出しがかかりました。開口一番
「一体何考え点だ? 気でも狂ったか?」
と言われました。
副社長;「大体中古パソコン屋なんて、やっていけるのか?」
私;「中古パソコンと言っても、歴史的に意義深いプレミア付きの中古でして。」
副社長;「つまり骨董屋のオヤジか?」
私;「当たらずと遠からずです。」
副社長;「そんなことして何が面白いんだ?全く理解できん!」
理解できないのも、無理もないでしょう。理解してもらう必要もないと思いました。決心は固いことを伝え、アメリカと日本サイドの人事部に預けることとなりました。そして当面、社内的にはこのことは伏せることになりました。このことを伏せつつ、駐在員の忙しい業務を行うのは、結構辛かったですね。
トヨタの現地法人と言っても、アメリカの会社ですから、米人スタッフの中途退社はしょっちゅうです。彼らは、もっといい転職先が見つかったり、自分に合わないと感じるととっとと辞めていきます。また、あまり多くはありませんが、仕事ぶりが極端に悪い人は、解雇もあります。しかし、日本から派遣された駐在員となると話は別。当時、トヨタテクニカルセンターUSAは、25年以上の歴史がありましたが、駐在員の中途退社は私が3人目。一人目は、非常に優秀な人でゼネラルモータースに引き抜かれたとか。もう一人は、永住権の抽選に当たり、駐在員から現地採用に切り替えてもらった方です。私のように、アメリカで起業してというのは初めてだったそうです。
5月に入って、人事部から結論が出たと連絡が入りました。そして、想定外の事態に陥ってしまったのです。
さて、英語タウンブログでありながら、最近あまり英語の話題が出てきませんので、今回からその時思いついた簡単な英語のフレーズを紹介していきたいと思います。思いついたときだけの不定期連載です。
今日のひと言
You are fired! クビ!
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 4:17 PM |
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会社に独立を宣言 September 28, 2006
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昨日は仕事上の緊急事態発生で、ブログはお休み。何とか解決して良かった。
さて、99年4月、独立して会社を辞めると宣言すると心に決めて、アリゾナ出張に向かいました。以前も書いたように、アリゾナには世界一の規模のトヨタのテストコースがあり、しょっちゅう出張していました。最近では、アリゾナに向かう度に、いつか会社を辞めると言いにこうやってテストコースに向かう日が来るんじゃないかという気がしていました。その日が遂に来たのです。
本来は人事面接だったわけですが、ここに至ってはそんな話はあまり意味がありません。単刀直入に、
「今年いっぱいで会社を辞めさせていただきたいと思います。ついては、後任の人選を進めてください。」
と言いました。この言葉を出す前には、さすがに声が詰まってしまって10秒くらい間があったと思います。上司のDさんも、普通ではない雰囲気を感じていたと思います。
「気持ちは固いのですか?」
「真剣なんですねか?」
と言った確認が2、3度ありました。そして、早速DさんはロスのK副社長に電話連絡していました。予想していた慰留がなかったのは、少し寂しい気もしましたが、話が早くて良かったと思いました。
それまで秘密裏に独立準備をしていたわけですが、会社にも公式に宣言して、何だかスッキリした気がしました。
しかし、この私の行動が大変な事態に繋がっていきました。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 7:24 PM |
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会社への報告 September 26, 2006
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H1-Bビザの申請も終わり、後は基本的にはビザが下りるのを待つだけです。そこで気になりだしたのが、いつ会社に対して報告するかということです。99年の4月になっていました。
ギリギリまで黙っておいて、直前に報告するのも一つの手です。ただ、これでは会社に大きな迷惑をかけてしまうのは明かです。駐在員として渡米しているわけで、すぐに交代要員を派遣してもらうことはできません。この辺りは会社によっても違うと思いますが、トヨタの技術部では半年以上前に駐在者を決めて、教育等を行います。遅くとも年末にはビザが下りるということを考えると、今報告しておけば、スムースに交代要員の手配が可能であるタイミングと言うことになります。
たまたま始めた個人売買が当たって、起業を夢見るようになりました。また、ロスでの生活も非常に気に入って、長くここで過ごしたいと思いました。駐在員としての仕事は多忙を極め大変でしたが、アメリカに滞在して仕事をする機会を与えてくれた会社には、感謝していました。そんな中で、駐在途中で辞めてしまうことに対する後ろめたい気持ちもありました。どの道迷惑をかけてしまうことにはなるわけですが、できるだけ最小限に留めたいと思っていました。
そう考えると、今しか無いと思いました。タイミング良く、日本人上司とアリゾナで人事関係の面接をする機会が迫っていました。この面接で報告すると腹を決めて、アリゾナへの出張へ向かいました。99年、4月の下旬のことでした。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 4:32 PM |
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H1-Bビザ申請完了 September 25, 2006
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拍子抜けするほど簡単に会社ができあがったわけですが、本番はここから。ビザが取れなければ何にもならないですからね。妻の学歴、職歴などを証明する書類を集めます。職歴と言っても日本のことで、ずいぶん前のことです。何とか昔の上司と連絡が取れて、書類を発行してもらうことができました。
それから、もちろん必要なのがビジネスプラン。個人売買が結構好調なので、専業でやればこの2倍くらいは行けるだろう。これで夫婦二人食べる分には困らない収入になるな、後は徐々に売り上げを増やして行けると良いな。
これが私の頭の中でのビジネスプラン。
もちろん、こんな物では落第です。弁護士から、模範例の書類をもらったので、これに沿って作成しました。それでも、立派なものはできないので後は弁護士が上手く仕上げてくれます。
そして必要なのがビジネスの実績。ただのダミー会社ではなく、ちゃんと実体のある会社であることを証明しなければなりません。この辺は何だか矛盾しているんですけどね。会社の業務を始めるためにはビザが必要。ビザなく働いては違法。でも実績がないと、認めてもらえない。ここで個人売買の実績が役に立ちました。
その他にも色々とすったもんだはありましたが、何とか必要な手続きと書類は完成。H1-Bビザ申請が完了したのは、99年の3月だったと思います。さて、問題は晴れてビザが下りるのはいつのことか? 弁護士によると、予想としては、年末くらい。申請後、3ヶ月程度で下りると言っていたのに話が違う?
H1-Bビザは年間の発給数があらかじめ決まっています。その年度の発給数に達してしまったら、翌年度回しになります。翌年度は、10月1日から。この年はドットコムバブルの走りの頃で、申請者が大幅に増え既に3月にして発給数に達したのではないかと予想されていました。そうなると、受付は10月となってしまい、年末辺りの交付になりそうというわけです。
この頃は一刻も早く独立したいという気持ちになっていたので、ちょっと残念でしたが、ちょうど良い準備期間と考えて納得しました。
これで半年以上は待つだけです。ここまで、駐在員として仕事をしながら、個人売買の運営、さらにビザ取得のために活動していたので、多忙を極めました。ここでホッと一息です。一息つくと、色んな考えが頭の中から湧いてきました。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 8:33 AM |
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ビザ取得の必殺技 September 22, 2006
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弁護士の言う必殺技を、解説しておきましょう。
働くためのビザを取得するには、雇用してくれる会社のサポートが必要です。きちんと給料さえ払える会社であれば、規模や設立年数は問われません。できたばかりの会社でもOK。
それなら、自分で会社を作っちゃえば簡単そうですが、そうは問屋が卸しません。自分の作った会社にサポートしてもらうことはできないんですね。(投資家ビザならそれも可能だが、最低でも10万ドルは必要)
そこで、私と妻以外の誰かに、会社を作ってもらうのです。アメリカでは会社の設立も簡単で、本当に100ドルで会社ができてしまいます。そして、実際に会社を運営するのは私と妻。その会社で専門職として働くために、H1-Bビザをサポートしてもらいます。前回説明したとおり、H1-Bビザの直接の申請者は妻、私は配偶者としてオマケでもらう計画です。H1-Bビザの有効期限は、3年。もう3年延長可能ですが、それでお終い。6年後どうするかってのも疑問ですが、そんな先のことはこの際置いておきましょう。
H1-Bビザは、特殊技能を有する人に発行されるビザです。なぜ就労ビザが必要かというと、もちろん自国民の雇用を優先したいからです。外国人が好きなだけ働いてしまっては、米国民の仕事があぶれてしまいますからね。そんなに専門的な技術・技能を持っているなら、外国人でも働いてもらわないとしょうがないね、と言うわけです。
私の妻にそんな特殊な技能があるかははなはだ疑問ですが、H1-Bビザの資格の大学卒はクリアしています。そして、プログラム経験あり。コンピューター関連会社で、プログラマーと言えば何だか専門職じゃないですか。後は、弁護士がうまく説明してくれます。
会社名は、Vintage Computer, LLC にしました。そして会社の主たるオーナーは、日本にいる妻の姉。と言っても、出資額は資本金100ドルのうちの51%、つまり51ドル。残り49%は妻が出資です。義姉には、51ドル出資してもらうだけですから、経済的な迷惑をかけることはありません。実体は限りなく私達の会社ですが、名義上のオーナーは、義姉。
この相談を行ったのが、98年の12月頃。書類を申請して会社ができあがったのが、99年の2月頃でした。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 2:16 PM |
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再挑戦 September 21, 2006
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弁護士のとても現実的とは思えないアドバイスに絶望感を覚えつつも、一度思い立った起業。この前までそんなこと思ってもいなかったのに、一度火が付くとどうにも諦められません。駄目なら、別の弁護士に相談です。
テレビでも、辣腕弁護士が圧倒的に不利なケースを見事に解決!なんてあるじゃないですか。どこかに辣腕弁護士はいないのか?
色んな方に相談して、難しいケースも対応してくれると評判の弁護士オフィスに連絡を取りました。今回の弁護士は、南アフリカ系の方。何人もの弁護士とアシスタントを抱える、移民専門の弁護士オフィスです。
応対してくれたのは、スティーブという白人男性。彼も南アフリカ出身だそうだ。
前回同様、こちらの状況と希望を英語で伝えます。なぜか、いつもよりスムースに英語が出てきた気がします。
「いくつかの方法が考えられます。」スティーブが切り出しました。
「10万ドルは用意できますか? 日本にソーシャルセキュリティナンバーを持っている協力者はいますか?」
何とも、具体的な質問ではないか。貯金をかき集めて借金でもすれば、10万ドルは不可能ではないかもしれないがなかなか大変です。そして、私の妻の姉夫婦が米国駐在経験があるので、米国のソーシャルセキュリティナンバーは持っています。上手く話せば協力してもらえるかもしれません。こういった状況を説明しました。
スティーブ; 奥さんを主体にビザを取得する方法がよいでしょう。今の会社にばれると色々面倒ですから。
私;(あれ?何だか最初の弁護士と同じような話だな。)
スティーブ; 奥さんと日本にいる協力者で、希望されているコンピューター関連の輸出販売会社を設立します。この会社にビザをサポートしてもらうのです。
私;(おー、何だかウルトラCと言う感じ。)しかし、会社設立ってお金がかかりそうですね。やっぱり10万ドル必要ですか。
スティーブ; いえいえ、10万ドルは難しいと言うことなので、お金のかからない方法を取りましょう。会社設立に必要なお金は$100です。私どもで書類申請等は代行しますので、その分は別途必要になります。
私; え〜!? たった$100? その話乗った!
大きく前進である。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 5:19 PM |
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弁護士に相談する2 September 20, 2006
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昨日からの続きです。
私; 妻に永住権をサポートしてくれる会社を探すには、具体的にどうすればいいのですか?
弁護士; 新聞の求人欄にはたくさんの求人が載っていますから、すぐに探せますよ。
私; (え、え〜!?)でも、わざわざ永住権サポートしてまで、雇ってくれるところなんてあるんでしょうか?
(解説;永住権のサポートには、企業側も色々面倒な手続きと費用がかかるため、よほど必要な人材でないとなかなかサポートしてくれない背景があります。)
弁護士; きっとありますよ。
私; 仮にあったとして、永住権取得にはかなり時間がかかりますよね。
弁護士; 早くて3年、長いと5、6年かかりますね。
私; その間、サポートしてくれる会社では働けますか?
弁護士; 働けません。
(解説;現在ではLビザやEビザの配偶者としてビザを取得した者(駐在員等の配偶者)は、働くことも可能。当時は全く働けなかった。)
私; そんなに時間がかかるのでは、駐在期間も終わってしまいますよ。
弁護士; 大丈夫。日本に帰って、永住権が下りるのを待てばいいのです。
私; その後は、その会社で働かなくてはならないのですか。
弁護士; すぐに辞めることができます。まー、一ヶ月くらいは働いた方が良いでしょう。
言っていることが滅茶苦茶である。多少プログラムができると言ってもそれほど高度なことができるわけでもない妻に、3年から6年後に働いてもらうためにどの会社が永住権のサポートをしてくれるというのだろう。しかも、永住権が下りたらろくに働かずに辞めてしまうわけである。実際こういうことが起こりがちなため、企業側は永住権のサポートには非常に慎重なのである。
私; これはちょっと現実的ではないですね。他に方法は。
弁護士; これしかないです。サポートしてくれる会社が見つかったら、また相談に来てください。
全くの無駄足である。やはり、海外で起業なんて夢のまた夢なんだろうか。足取り重く、家路についたのを覚えています。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 4:36 PM |
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弁護士に相談する1 September 19, 2006
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そんなわけで、紹介してもらった弁護士のところに妻とともに相談に行きました。この弁護士さんは日系人の方ですが、日本語は話せません。ちなみに、日系三世、四世の方は日本語が話せない、または片言しか話せない方が多いです。それでも、日本語訛りの英語の許容範囲は大きいので、多少は気が楽です。初回の相談は無料ですので、当たって砕けろ、聞いたもん勝ちです。
まずは、英語でこちらの状況と希望を説明。トヨタの駐在員として働いていること。個人売買が盛況で、ビジネスとして始めたいこと。どんなビザが必要で、どのようにすれば取得できるのか?
果たして、どんな手段があるか? 期待と不安が入り交じります。
弁護士;あなたの場合、永住権の取得が最適です。
私;それはわかっているけど、難しいんじゃ?
弁護士;一番良いのは、抽選に当選することです。今回の応募はされましたか?
私;(ガック〜〜〜〜! )応募はもちろんしましたが、当選確率は非常に低いんでしょう?
弁護士;そうですね。では、次善の策を考えましょう。
私;(そうそう、それを聞きたいんだよ。)
弁護士;駐在員として働いているあなたが、表だって動くのは良くありません。会社にばれたら大変です。奥さんが、永住権取得のために動くのです。奥さんに永住権が下りれば、配偶者のあなたにも永住権はセットで下ります。
私;(フムフム、調子が出てきた感じ。)
弁護士;奥さんに永住権をサポートしてくれる会社を探すのです。
私;うちの奥さんはただの主婦なんですよ。永住権をサポートしてまで雇ってくれる会社なんてあるんですかね?
弁護士;奥さんは、大学も卒業しているし、プログラムの経験もあります。引く手あまたですよ。
私;本当ですかね?
半信半疑に思えるものの、やけに自信たっぷりの弁護士。具体的にはどうすればいいのか?
明日に続く。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 12:10 PM |
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ビザの壁 September 18, 2006
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このあたりから、起業のストーリーが佳境に入っていきます。ブログ紹介には、「海外で暮らすこと・・・起業することがどういうことか」と書いていますが、やっと起業の話題に入りました。
さて個人売買が思った以上に好評で、これはビジネスになるかもしれないと考えましたが、そこに立ちはだかるのがビザの壁です。駐在員としてLビザで滞在していましたが、駐在員のお仕事をするということで滞在許可をもらっているのであり、他の一切のお仕事は米国ではできません。別の仕事がしたければ、それが可能なビザを持つことが必要です。
こんなこと会社の友人に相談できるわけがありませんから、虫喰いリンゴの会の友人達に聞いてみました。長年米国に住んでいる会員の多くは、永住権(グリーンカード)を取得していました。彼らの取得した方法は、主に3種類。
1. 抽選に当選
2. 米国人と結婚
3. 勤め先からサポートしてもらう
抽選は毎年募集されています。昔は割と確率が良く、また複数の申し込みもできたので、何百通も応募して見事当選した人も結構いました。現在は、複数の申し込みは無効で、当選確率はまさに宝くじ並です。毎年応募はしていますが、滅多に当たる物ではないですね。
米国人と結婚された方は、第一優先でもらえます。とは言え、妻を持つ身としてはこの手はボツです。
勤め先からサポートしてもらった方も、結構いました。この場合、取得まで5年ほどかかることも珍しくないです。その間は、HビザやLビザなどの雇用ビザで過ごします。
永住権がもらえれば米国人同様、どのような仕事に就くことも可能になります。そこでどうなるかと言うと、企業がこの人には長年勤めてもらいたいと思って、永住権をサポートする。すると、永住権が取れた瞬間に辞めて希望の仕事に転職すると言うことが起こりがちです。従って、企業としては永住権のサポートは非常に慎重です。
私はトヨタの駐在員として働いていたわけであり、永住権を会社にサポートしてもらうことは全く考えられません。駐在員を辞めるための便宜を図ってください、と言うようなものですからね。
さて、なんとかここでMacのビジネスを始めることはできないか。そのためにはどんなビザの可能性があるのか。虫喰いリンゴの会の友人に聞いても、「昔は割と簡単に取れたらしいけど、今は難しいらしいよ。」といった否定的な意見が大半です。こういうことは、専門家=移民弁護士に聞くのが一番とアドバイスしてくれた方がいました。その通り、専門家の的確なアドバイスが必要ですね。
そこで、紹介してもらった日系の弁護士に相談に行きました。赴任後、まだ1年。我ながら素速い行動です。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 3:09 PM |
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個人売買が大好評 September 15, 2006
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またまた98年頃の話題に戻ります。
そんなわけで、気がつくと家中Old Mac やパーツで溢れるようになてしまいました。元々自分のコレクション用だったのですが、買い過ぎちゃったんですね。普通の人の目にはゴミの山ですが、当時はOld Mac ブームもあって、マニアにとってはお宝の山です。これはやっぱり転売して、お小遣いの足しにするしかないですね。
ちょうど妻のホームページにMacのコーナーを設けていたので、ここに個人売買コーナーを作って試しに売ってみました。Old Mac ブームは日本で特に盛り上がっていたので、日本向けです。
物の状態と価格を表示して、希望者はメールくださいという非常に簡単なシステムです。わざわざ日本から買ってくれる人がいるかな? と思いましたが、あんなに溢れていたMacとパーツがあっという間に完売。良いお小遣いの足しになりました。
こうなると、妻と毎週スワップミートに出かけてめぼしい物があると買い集めるようになりました。スワップミートの出店者は、ほとんどがプロの人達。どんどん買い付ける私達に、
「古いMac探しているの?うちのショップの倉庫にたくさんあるから、今度おいでよ。」
とまたとないお言葉。そして、倉庫に出かけるとまたまたお宝の山。そんな仕入れ先がいくつもできました。そんなわけで、週末は仕入れとMacの整備に充てるようになりました。
ウィークデイは駐在員として忙しく働いているわけですが、夜遅く自宅に帰ると問い合わせや注文のメール対応。発送は、妻が対応してくれました。
当初は1ページのみだった個人売買コーナーが、だんだん数ページに及ぶようになり、ちょっとした通販ショップみたいになってきました。
これはもしかするとビジネスとして成り立つかもしれないな? そう思ったのは、駐在を始めてちょうど1年くらい経った98年の末頃でした。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 11:57 AM |
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井上 怜奈さんの講演会終了 September 14, 2006
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昨夜は、このブログでもお知らせしたトリノオリンピック フィギュア・ペア7位の井上 怜奈さんの講演会がありました。私も紹介者として、スピーチをすることになりました。

ちょっとだけ緊張しましたが、無事に終了。
スポ根魂炸裂の熱いスピーチを期待された方もおられたと思いますが、たんたんとしゃべる怜奈さんに意外な感じを受けた方も多かったと思います。でも、その物静かなしゃべり口とは裏腹に、ご家族の不幸やご自身のガンとの闘病など内容はとてもシリアス。そう言ったことも含め、全て自分にとってプラスだったと断言される姿に、涙を拭かれる方も多かったようです。
そんな観衆の方の中で、知りあいなんですがブログで感想を書かれた方がいらっしゃいますので、リンクしておきます。この時の雰囲気をお伝えするのはなかなか難しいのですが、結構雰囲気が伝わってくると思います。
日本だったら雲の上のオリンピック選手。でも、こちらでは同じ日本人という繋がりだけで、お付き合いさせていただくことができました。このご縁を大切にしていきたいと思います。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 10:45 AM |
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スワップミートに興奮! September 13, 2006
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話は、渡米当時の98年頃の話に戻ります。9/7のエントリーで書いたとおり、Macショップは少ないし、アップルの勢いはないしで、どうもフラストレーションが溜まり気味。そこで、虫喰いリンゴの会のメンバーから聞いた、コンピュータースワップミートに出かけてみました。これが何とも面白い! お宝の山です。
日本にいる頃、リフレコという中古店で見つけて感動したSE/30や一体型Macが多数放出されています。ズタボロのマシンが多いのですが、中にはなかなか程度の良いものもあります。うぉ〜、幻のマシン、Portableも。そしてお値段が、聞き間違いかと思うほど安い! これは文句なしにお買い上げです。
喜び勇んで、帰って動作チェックするとやっぱり電源が入らない(T_T)。安いのにはそれなりに理由があって、「As is.」と書かれています。つまり、現況、動作保証無しってことですね。しかし、こんなことでめげてはいられません。元々電気系のエンジニア、半田ごて片手に修理です。これで、結構復活できました。
部品取り用にとか、色々理由を付けて買い進んだ結果、部屋はこんな状況に。

アメリカの家は、日本より大きめなのでまだいいのですが・・・ ちょっと買いすぎたか? これは何とかしないとまずいね。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 2:00 PM |
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明日、井上怜奈さんの講演会 September 12, 2006
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ロス近郊にお住まいの方にお知らせです。このブログのなかでも、アクセス数が多かったのが8/13, 8/14, 8/17のチャンピオンズ・オン・アイスのエントリー。チャンピオンズ・オン・アイスにも出ていた、トリノオリンピック フィギュア・ペア7位の井上 怜奈さんについて、これまで何度か取り上げてきました。既に一度、井上怜奈さんの講演会のお知らせもしましたが、明日に迫りましたので、再度お知らせしておきます。

井上怜奈選手は、米国代表として今年トリノオリンピックに出場し、7位入賞とともオリンピック史上初めてスロートリプルアクセルを決めて五輪史に名を残しました。肺ガンとの闘病など様々な困難を乗り越え、3度目のオリンピック出場を果たしました。
9月13日(水)6:00 PM〜、会場はHoliday Inn, Torrance。詳細はSouth Bay Management Seminar のWEBサイトをご覧ください。
基本的には会員向けのセミナーですが、一般の方も15ドルお支払いいただくことにより、参加いただくことが可能です。
大変感動的な内容です。ぜひご参加ください。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 12:54 PM |
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9.11から5年 September 11, 2006
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アメリカの話題メインの本ブログですので、やはり今日は触れないわけにはいかないでしょう。5年前の今日、9.11は起こりました。
世界貿易センタービル・ツインタワーの北棟に最初の飛行機が突入したのが、8時46分。ロスとは3時間の時差がありまだ5時台。当時は、7時頃起床だったので、まだ寝ていました。7時前に起床して、テレビを付けるといきなり北棟が崩れ落ちる場面が映し出されました。一体何が起きたのか、全く理解できません。そして、テレビでテロについてのニュースを聞き、事態を把握しだした頃に南棟が崩壊。5年経った今も、当時のことは忘れられません。
東海岸と西海岸と言うこともあり、被害者に直接の知りあいはいませんでしたが、友人のガールフレンドが亡くなりました。また知りあいは、当日のその時間、本来世界貿易センターにいるはずだったのが、突然のドタキャンでビルに入らなかったということもありました。
写真は、99年にNY旅行をしたときの写真です。

9.11の今日、昔の写真を眺めて改めて気がついたのですが、この写真に限らず、色んな写真に世界貿易センタービル・ツインタワーが写っていました。
アメリカはその後、イラクに派兵。多くの犠牲者を出しながら撤退できずにいます。9.11の傷跡は、未だ大きいと言わざるを得ないでしょう。
さて、9.11直後にブッシュ大統領が出した声明。
Nation will not stand for terrorism.
これを聞いたとき、私はあれ?と思いました。「国家は、テロのために立ち上がれなるだろう。」と言う意味に取れてしまったのです。
もちろん正解は、Stand for = 我慢する で、「国家は、テロを決して許さない。」ですね。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 12:19 PM |
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虫喰いリンゴの会に入会 September 8, 2006
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そんなわけで、試しに参加してみた虫喰いリンゴの会でしたが、面白くてすぐに入会しました。
月2回、勉強会や情報交換を目的とした例会を行っていました。英語OSの日本語化など、海外ならではのノウハウも充実していて頼りになりました。それ以上に、興味深かったのが様々な会員の人達。
私のような駐在員はほとんどいませんでした。画家、ジャズシンガー、ミュージシャン、ファッションデザイナー、グラフィックデザイナー、エロサイト運営者、プー太郎、宗教家、CPAなどなど、本当に個性的な人達がいっぱい。普通のサラリーマンは、むしろ少数派でした。若者からお年寄りまで年齢層が広いのも、日本とは違う点でした。日本でもアメリカでも、これまで交友関係はほとんど社内に限られていたのですが、本当に新鮮でした。いかに自分が狭い世界に身を置いていたのかを認識しました。

写真は、KNN 神田さんをお呼びしたときの記念イベントの様子です。
虫喰いリンゴの会で、Macの知識を身につけられたのも良かったですが、それ以上に色んな生き方があることを実感として理解できたことが大きな収穫でした。それまでサラリーマンとして生きてきて、今後も駐在期間が終わったら日本に戻って、定年までサラリーマンとしてお勤めするものと思っていました。これは単にそう思いこんでいるにすぎないと、気がつきました。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 9:59 AM |
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アメリカでの趣味 September 7, 2006
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日本にいた頃は、車のレース、ログハウス、Macにとヘビーにはまっていましたが、アメリカでの駐在員時代はMac一直線になりました。車のレースは日本でも一段落していましたし、ログハウスは帰国するまでお預け。そこで、Mac一筋にはまっていったわけです。
カリフォルニアはMacの生まれ故郷でもあるわけですし、非常に期待していたわけですが、最初はちょっとがっかりしました。当時は1997年末くらい。スティーブ・ジョブズがAppleに復帰して間もない頃でした。ジョブズが復帰する前は、Appleの最大の危機の時代です。ジョブズ復帰後も、しばらくはその効果が見えず、非常に調子が悪かった時代ですね。よく、Appleはもう無くなってしまうのか?なんて話題が上って、私はムキになって「そんなわけない!」と主張していました。しかし、現在から振り返ると潰れなかったのが奇跡とも言える状況でした。
そんな時代ですから、Macショップは少ないし、大型店の取り扱いも寂しい限り。完全に期待外れでしたね。
そんな頃、日系フリー雑誌でみかけたのが、「虫喰いリンゴの会」でした。ロサンゼルスの日本人によるMacのユーザーグループですね。日本でもユーザーグループは多数あったわけですが、入る気にはなりませんでしたが、こちらで日本人のユーザーグループとなれば、興味をそそられます。
早速例会開催日に、出かけてみることにしました。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 6:57 PM |
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おめでとうございます。紀子様、男子ご出産 September 6, 2006
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日本では、このニュースに大いに沸いていることと思います。本当におめでとうございます。こちらアメリカでは大ニュースにはなっていませんが、それでも全国ニュースで流れています。
このままでは、皇位の継承ができなくなってしまうということで、この前まで女性・女系天皇を認める皇室典範改正案の議論が盛んに行われていました。今回のご出産がなければ、改正も目前という雰囲気でした。今回、皇室に男子が誕生したことで、この議論も当分封印となりそうです。
私が日本にいた頃はまだそんな議論は沸いていなかったわけですが、その時だったら、男女平等の世の中、改正には大いに賛成と考えたと思います。日本を離れて暮らす今、改正は極めて慎重に議論すべきと考えていました。
海外に住んでいると、日本の文化や伝統について考える機会が多くなります。天皇家は、ある意味日本の伝統・文化の象徴と言える存在だと思います。神話の時代も含めると2500年以上、史実として間違いない系譜だけでも2000年近く続いているわけで、世界で圧倒的に最古の王族としての歴史を持っています。その間、一貫して守り続けてきたのが男系の皇位継承。これを現代の価値観や事情で簡単に変えて良いのかというのは、大いに疑問でした。
日本にいる頃はそれほど重く考えられなかった伝統と文化、海外に住むようになってその大切さを感じるようになりました。それとともに痛感するのが、自分の日本の伝統と文化に対する無知さ。日本人として誇りを持って海外で生きていくためにも、もっと日本について勉強しないといけないな〜、と感じるこの頃です。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 8:45 PM |
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アメリカのオフィス September 5, 2006
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出張の話が続いたので、ここらでトヨタテクニカルセンターのロサンゼルスオフィス内の様子を話題にしたいと思います。
一般的なアメリカのオフィスと同様、個人毎に肩くらいの高さのパーティションで区切られています。机はぐるっとコの字状に回っていますので、書類を拡げるスペースもたっぷり。書類の収納スペースもたっぷり。日本の環境と比べると、はるかに快適です。電話も個人毎に引かれ、社内電話帳には平社員でも名前が載っています。
一見理想的な仕事環境で、言うこと無しのように思えますが、日本式が恋しくなるときもありました。日本にいる頃はあまり意識していませんでしたが、結構助け合って仕事を進めるんですね。アメリカの場合は、それぞれの仕事がかなり明確に分担されていて、自分の仕事はどこまでも付いてきます。
例えば電話。不在の時は、ボイスメッセージを残すことになります。日本では席の近い誰かが電話に出て、不在の場合も電話に出た人がわかる内容なら対応してくれたり、出張中ならかわりの誰かが対応ということも多いですよね。しかし、アメリカでは、その人にかかってきた電話はあくまでその人の仕事。出張中だろうが休み中だろうが外からボイスメッセージが聞けるシステムになっており、ちゃんと対応しないといけません。
社外走行テストなどは結構楽しんでやっていましたが、その日の仕事が終わってホテルの部屋からボイスメッセージを確認すると、メッセージ30件と聞いてげんなり。メールチェックも行うと、こちらも問い合わせの山。出張の主目的が終わってから、またホテルで一仕事が始まるというのは辛かったですね。
それから、夏休み。日本ではお盆にかけて、全員が1週間ほどのお休み。お陰で大渋滞だし、交代で休みを取れば良いのに、と思っていました。そして、アメリカではそれが実践されていました。夏休みは、各自が計画的に取るのです。すいた時期に休みを取れば、観光地も混んでいない。素晴らしい!と思いましたが、会社は稼働しているので、電話もメールも問い合わせが入りまくり。旅行に出かけても、旅行先からの対応をせざるを得ず、あまり楽しめない気分でしたね。
知らず知らずのうちに助け合って仕事を進める日本式、これもやっぱり良いものですよ。しかし広々とした机はやはりアメリカ式が良いですね。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 12:55 PM |
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レイバー・デイの北海道物産展 September 4, 2006
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本日は、アーカンソーの鈴木さんも書いておられるように、アメリカはレイバー・デイのお休みです。つまり3連休ですね。このレイバー・デイで夏のお休みはお終いという意識が強く、夏休み最後のレジャーに出かける方も多いですね。おかげで大渋滞。そんな日に遠出をするのは面倒なことになるので、この3連休は近場で過ごしました。連休に合わせてセールをするお店も多いのですが、それは日系のスーパーも同じ。日系スーパーミツワでは、この3連休は北海道物産展で大変な賑わいでした。
日本国内でも物産展に出ている商品は実は輸入物とか興醒めする報道もされていますが、もしかしてそうであったとしても、海外に住んでいる我々にとってはありがたいものです。多くの海産物や乳製品が販売されていました。今回目に留まったのは毛蟹。こちらではダンジネスクラブをよく食べます。これもなかなかおいしいんですが、毛蟹はなかなか食べられないですね。

そんなわけで、今夜は久々に毛蟹で舌鼓。あ〜、ビールがうまい!
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 6:56 PM |
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社外走行テストの出張-2 September 1, 2006
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そんなわけで、結構楽しかった社外走行テストですが、それだけに虫の良い計画を立ててくるテスト隊もいました。ラスベガスをはじめ、めぼしい観光地を結ぶテスト計画です。本来のテスト目的にあっていればそれも良いのですが、やっぱり観光メインで考えた計画は、どうにもつじつまが合わないんですね。そう言う計画は、容赦なく却下。計画立案者は、いかにも残念そう。無理に観光地を結ばなくても十分アメリカの面白い部分を堪能できるので、最終的には満足していました。
社外テストでは極力目立たないようなコースを選ぶのですが、そこはやはり公道。貼り物をして外形を隠して走っている車は相当目立ちます。走行中はすぐに通り過ぎてしまうわけですが、駐車場なんかでは目立ってしょうがないわけです。駐車場ではなるべく端に止まって、長時間停めるときはカバーを掛けますが、トイレ休憩程度の場合はそのままってこともあります。アメリカも車好きな人は多いので、そんな車を見つけると近くに寄ってきて眺めています。強面のスタッフが見張っているのですが、「これは何の車だい?」なんて聞いてくる人もいます。そんな時は決まって、「これ以上聞いたら、おまえは死ぬぞ!」って答えていました。
極秘の未発表者のテストを盗み見ようとしているわけですから、ちょっと臨場感あるでしょ。
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| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 8:10 PM |
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