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このところ、社会人時代の趣味の話題となっていましたが、トヨタ自動車時代のお仕事の話に戻ります。96-97年頃は、北米のトップセールスの車種 カムリの担当でした。当時年間40万台くらい売れていましたから、世界的に見て最も売れている車と言うことになります。
カムリは、アメリカでの生産と開発も行っており、アメリカサイドとは密接に連携しながら開発を行っています。そのため、海外出張もちょくちょく行くようになりました。
ケンタッキーに工場がありましたので、新型車の立ち上げ前は長期に出張しました。これは貴重な体験ではありましたが、英語的にはそれなりに良い体験だったな、くらいでした。まわりには日本人出張者がたくさんいますし、現地関係者もそういう日本人とのコミュニケーションに慣れているわけです。英語でのコミュニケーションにそれなりに自信を付けつつ、それほど実力は上がっていないという状態だったと思います。
97年になって、トヨタの米国の技術部の3拠点(実質全部)に出張の命を受けました。当時車両開発支援システムの運用を日本側では開始していました。要は開発の進捗状況を各開発担当者が日々アップデートして、全体の状況が一目でわかるようにするツールです。これを米国側にも展開して、日米間でも同じように開発状況がわかるようにしようというわけです。私の役目は、各ユーザーへの使い方のレクチャーを行うことです。
これまでも、システム開発担当者が全体の説明会を行ったり、使用マニュアルを配布したりしていたのですが、全くと言っていいほど浸透していなかったんですね。システム開発担当者は、具体的に開発の場面でどのように使うか理解していないので、うまく浸透しないんですね。開発担当のエンジニアでシステムについて理解している人がいないのが致命的でした。
そこで私が現地に乗り込んで、一人2時間、Face to face で特訓を行い、目前に迫ったシステムの運用開始に間に合わせることになりました。ミシガン、アリゾナ、ロスと3拠点、全部で20人以上と一対一の真剣勝負になりました。もちろん、そのほとんどが米国の現地エンジニアです。
これが上手くいかなかったら、システムの運用が大混乱になるのは必至です。責任重大な出張でした。
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