|
|
 |
社外走行テストの出張 August 31, 2006
|
 |
|
なんとなく出張シリーズになってしまったので、続けてトヨタ時代の出張のお話しです。決まった拠点への出張の他に、開発車のテストのための出張がありました。一部の車はアメリカでも開発を行っていますが、多くの車はもちろん日本での開発。それでも、ほとんどの車はアメリカはとても重要な市場です。ですから、開発の段階でアメリカを実際に走らせてテストすることが重要です。日本国内ではこのような社外のテストは、ほとんどやりませんが、アメリカでは開発の中盤くらいで行うこともあります。もちろんスクープ写真を撮られてはまずいので、車のデザインがわからないよう色んな貼り物をして社外走行を行います。逆に目立っちゃうんですけどね。
この手のテストは、日本からの出張者と現地スタッフで協力して行います。車によってスポーティー車は山岳路を走ったり、オフロード車は砂漠地帯を走ったりと、車の性格によって走る場所を選びます。3泊くらいで色んな場所を走って、車の仕上がりが米国にあっているか、問題ないかとテストをするわけです。砂漠地帯を走るようなコースを選ぶと、必然的にラスベガス付近を走ることもあり、宿泊はラスベガスで、となることもありました。

夕方ホテルに入って、皆でその日の結果をまとめてディナー。その後は自由時間なので、ギャンブルを楽しむことができました。もっとも一日中車で走って、翌日もそうですから、ほどほどにというのがお約束です。
さて、ラスベガスで迎えた朝、いつも時間厳守のディックの姿が見えません。5分ほど遅刻で現れました。朝食を食べた後、最後の一枚のコインをスロットに入れたところ、なんと大当たり! コインがどんどん出てきて止まらない!ってことだったそうです。大当たりと言っても数百ドルの話ですが、元が25セントですからね。
そんなわけで、社外走行テストは楽しんでやっていました。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 3:03 PM |
|
 |
カナダへの出張-2 August 30, 2006
|
 |
|
カナダでは、英語とフランス語の2カ国語が公用語になっています。と言っても、国民皆が両方の言葉を話せるわけではなく、地域によってどちらかに別れています。ティミンズはオンタリオ州で、州の公用語は英語とフランス語の2カ国語。州民の5%がフランス語を話すそうです。
ティミンズでは英語で全て用が足りるわけですが、地元の方の英語はかなりフランス語訛りです。トロント空港ではあまり意識したことはありませんでしたが、ティミンズ行きの飛行機に乗ったら機内アナウンスが何だか変な感じ。周りの乗客の英語も、ちょっと変わっています。地元の人達とは、あまり複雑なコミュニケーションを取るわけではありませんので、それほど障害になったわけではありませんが、ちょっと変な感じでした。
ティミンズの出張で思い出すのが、盗撮事件。寒冷地試験は、塀に囲まれたテストコース内でやっていますが、やはり外で走らないとわからないことも多い物。それで、たまには未発表車も外に出て行ってテストを行います。カナダへの出張も終わって、ケンタッキーに出張に行ったある日、主査から呼び止められました。「やられちゃったね〜」と言われ、雑誌を見せられました。そこには見開き2ページで大写しになったスクープ写真。ドライバーのスタンと助手席の私の顔もはっきりわかります。あれれれ、明らかにティミンズでの社外走行のスクープ写真でした。
定められた偽装をしていなかったり計画外の走行でこれだと大問題ですが、この時は手落ちもなく、公道上での撮影ですので、特に問題にはなりませんでしたが冷や汗ものでした。もっとも、昼間公道を走っているのは、こんな北の果てまでは追ってこないだろうというと言う読みと、ある程度は仕方ないと覚悟しているからなんですけどね。
このスクープ写真の載った雑誌、社内的にはばつが悪かったので当時個人的に入手しませんでしたが、今思うと記念に買っておけば良かったなと思います。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 1:23 PM |
|
 |
カナダへの出張 August 29, 2006
|
 |
|
毎年冬には、カナダのティミンズと言う小さなシティに出張していました。トロントから更に北の町です。この町で、寒冷地テストをやっていたのです。朝は、暖かい日がマイナス20度、寒い日がマイナス30度、この冬一番という日にはマイナス40度にもなる極寒地でした。朝、いつもより冷えると、喜び勇んで寒くなった日にしかできないテストをやっていました。
さて、この出張中は残業もあまりできず、夜の時間はたっぷりありました。こんな極寒地で一人残業して、滑って転んで気を失ったら凍死しちゃいますからね。
そこで、夜はどうするかというと、まずは飲む。といっても小さな街ですから、めぼしいレストラン兼飲み屋は、3、4件ほど。毎日飲んだくれているのもさすがに飽きちゃいます。そして、飲む以外の唯一と言っていい夜の娯楽と言えば、ストリップでした。特別好きでもありませんでしたが、他に行くところもなく、出張者同士の付き合いもあるので結構行きました。こんな田舎町のストリップ小屋ですが、意外と綺麗な人が多かったです。そして料金も格安、サービスも濃厚。毎日通っている出張者もいました(私ではない)。
お昼に、あるレストランにランチに行きました。すると、やたらゴージャスな服を着た綺麗なお姉さんがいました。すると向こうから、「あら、昨日はありがとう。」と声をかけてきました。
会ったことあるような気がするが、この地に知りあいなんて・・・ と思ったところで気がつきました。昨日たっぷり見せていただいた、ストリッパーのお姉さんでした。小さい町なので、遭遇率も高いわけです。
お店でも、ストリッパーのお姉さん達とは、結構話しました。アメリカからの出稼ぎの人が多かったです。日本に出稼ぎ経験がある人もいました。出張中、仕事よりも生の英語に触れる機会は、ここの方が多かったかも。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 3:42 PM |
|
 |
写真撮影 August 28, 2006
|
 |
|
前回のエントリーの井上怜奈さんとのツーショット写真、肩に手が回っています。「うひゃ〜〜〜〜、なんてセクハラオヤジ!」って思われた方もいらっしゃるかもしれません。
こちらアメリカでは、こんな写真撮影ではさりげなく手をかけるのが普通です。そして久しぶりに会ったときやお別れの時に、ハグ(抱擁)するのも一般的。アメリカ人だと更にさりげなくチューしちゃう人もいるのですが、なかなかそこまではね・・・ やっぱり私は日本人。
そこで困るのが相手が日本人の時。アメリカ式に慣れている方だと自然にやらないとおかしいし、慣れていない方だと不快に思われることもあるわけです。相手の米国滞在期間を計算し、反応を観察しながら、できるだけ自然にという対応をするわけです。
さて、下の写真はこの夏、小泉首相がホワイトハウス訪問をされた時のもの。この時は、アメリカで活躍する日本人・日系人も招待され、井上怜奈さんも出席されました。右はローラ・ブッシュ夫人。

歓談中は、小泉さんに気さくに話してもらえて感激したそうです。しかし小泉さんはやはり日本人、他の写真でもなかなか寄り添ってもくれず、怜奈さんとしてはちょっと残念だったそうです。郷にいれば郷に従え、と日本人としての礼儀、なかなか両立は難しいです。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 9:49 AM |
|
 |
井上怜奈さんの講演会 August 25, 2006
|
 |
|
これまで何度かご紹介した、トリノオリンピック・フィギュアスケートペア7位の井上怜奈選手ですが、昨日感動のご対面を果たしました。ボルドウィン選手に怒られちゃいそうなツーショット写真も撮らせていただきました。

今回、お会いさせていただいたのは、井上さんが9月13日(水)に行う講演に関する打ち合わせです。South Bay Management Seminar というビジネスセミナーの会で、「12年ぶりにオリンピック」と題して講演をしていただくことになりました。昨日の打ち合わせで、改めて感動の講演となること間違いなしと確信しました。
基本的には会員向けのセミナーなのですが、一般の方も15ドルお支払いいただくことにより、参加いただくことが可能です。会場は、Holiday Inn, Torrance。詳細はSouth Bay Management Seminar のWEBサイトをご覧ください。
マスコミやネット上に色んな情報がある怜奈さんですので、こんな方なんだろうな〜、というある程度先入観を持ってお会いしたのですが、良い意味でそれは裏切られました。やっぱりこの手の情報は、ある一面のみから見た偏った情報という側面が大きいですねえ。実際にお会いしないとわからない、彼女の魅力を知った感じです。
今回の講演会は、そんな生の井上怜奈さんを知る、またとないチャンスです。大きな勇気と感動を与えてもらえる講演会になると思います。
ロサンゼルス近郊にお住まいの方は、ぜひご参加ください。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 1:55 PM |
|
 |
ミシガンへの出張ーレッドアイ August 23, 2006
|
 |
|
ミシガンには、トヨタテクニカルセンターの本社がありましたので、こちらにもよく出張しました。企画室と設計がいましたので、報告会などに行く事が多かったです。そこで壁になるのが、距離と3時間の時差。
出張先で朝一からお仕事の場合、アリゾナなら早朝出発でも何とか間に合いました。これはこれで大変なので、前の晩に行ってホテルに宿泊することも多かったです。また、お昼からのお仕事の場合は、アリゾナなら朝に出発で間に合います。
ところがミシガンはこれが全て成り立ちません。フライト時間は4時間以上。これに3時間の時差がありますから、朝から出ても到着は夕方。これで次の日からお仕事ならラクチンですが、贅沢な日程であまり許されない雰囲気がありました。
そこでよく使ったのがレッドアイ。前日の夜に出発し、デトロイト空港への到着が朝7時くらい。そうすると、朝一からお仕事ができる訳です。寝不足で目が赤くなる事から、レッドアイという通称なんですね。ちなみにロスーデトロイトのノンストップ便は、ノースウェスト航空の独占で料金もめちゃくちゃ高かった。普通のエコノミーが当時$1500くらいしていました。日本行きの方が遥かに安かったですね。アメリカの飛行機は、競合のある路線は超安くなりますが、独占路線は驚くほど高いです。特にロスーデトロイトはビジネス客がほとんどですから、この傾向が強いようです。こんな辛いレッドアイですが、いつもビジネス客で結構満席でした。
行きも辛けりゃ帰りも辛いのがミシガンへの出張でした。時差の関係で、帰りは時間が進んでいない訳です。しっかりお仕事して、4時間のフライトを終えてもまだ日が高い。直帰にはいかにも早すぎる時間。上司からは、「結果を報告に来てね。」と言われ会社に戻る。アメリカの広さと時差を実感できる出張でした。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 7:11 PM |
|
 |
弁護士 August 22, 2006
|
 |
|
今日は弁護士(ロイヤー)のオフィスに行ってきました。私の運営しているVintage Computer社の、登記上の変更のご相談です。日本にいる頃は、弁護士のお世話になるのはよほど悪事を働いたときくらいだろうと思っていたのですが、こちらではよくお世話になります。
ビザ取得と会社設立の時はもちろんお世話になりましたし、その後もビザの更新の時にはまた別の弁護士にお世話になりました。幸い悪いことをしてお世話になった経験はありませんが、飲酒運転で捕まってしまった程度でも、弁護士のお世話になることになります。もちろん、弁護士を雇わない手もありますが、普通は弁護士のお世話になった方が、はるかに有利な結果に終わります。また、その結果は弁護士の腕にかかっていますので、敏腕弁護士ほど料金もお高くなりますね。
今回はより有利にビジネスを展開するためのご相談なのですが、ほとんど屁理屈のような理論を展開してくれます。こちらは、そのアドバイスに感心するやら呆れるやら。
ロングビーチのハーバービューの美しいビル内のオフィスに行ったのですが、ビルの名前にはその弁護士の名前が付いています。やはりこちらでも、やり手弁護士は相当儲かるお仕事のようです。
日本人は弁護士にはなかなか馴染みがないですが、こちらで暮らしたり仕事をするには、上手に利用することが重要になります。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 5:37 PM |
|
 |
アリゾナへの出張-2 August 21, 2006
|
 |
|
ロスからアリゾナには、飛行機で1時間ほどで到着します。出張には、本数が多く値段も安いSouthwestをいつも利用していました。フェニックス空港に到着すると、レンタカーを借りてテストコースに向かいます。フリーウェイに乗り、その後幹線道路を走りますが、その後は砂漠の中の一本道を走ります。ここは多少道がうねっていて片側一車線ですが、本当に何もないところで、車も滅多に通りません。その気になれば、かなりぶっ飛ばせます。そして距離もかなり長い。
普通に走ると、空港からテストコースまで1時間半くらい。テストコースは、そんな人里離れたところですので、ひたすらお仕事です。テストコースは世界最大の規模ですので、時速200キロ以上で安心して走れます。時々ガラガラヘビが出たり、イグアナみたいなトカゲが出たり、ここは別世界でした。
出張となれば当然何泊かするわけですが、当然すぐそばにはホテルはなく、また砂漠の一本道を爆走して最寄りの街まで通います。ここまでも40分くらいです。
出張の最終日は、また1時間半かけて空港まで戻るわけですが、そんな時に限ってテストが長引いたり、上司に呼び止められたりするんですよね。すると、必然的に急げ〜〜〜とぶっ飛ばすことになります。砂漠の真ん中の道は、そんな時は一般道を80マイル(130キロ!)で爆走。通常1時間半かかるところを1時間で走りきり、飛行機に滑り込みセーフというのもよくありました。自動車会社というのは、当然ながら交通ルール遵守にはうるさくて、一般道では常に安全運転をしていたのですがここだけは例外でしたね。もっとも人も車もいないから安全かというと必ずしもそうではなかったです。時々放牧されている牛が横切ることがあるんですね。昼だと遠くから見えるので問題ないですが、夜は牛も黒いので近くに来ないと確認できないので危なかったです。実際、何度か事故が起きていました。
アリゾナは全米では珍しく夏時間を採用していません。そして標準時の季節は、時差は1時間。たった1時間ですが、されど1時間。特に行きは向こうが1時間進んでいるので、早朝に出ることもしばしば。結句苦労させられました。
時差で苦しめられると言えば、3時間の時差のあるミシガンでした。次回は、ミシガンのお話し。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 6:28 PM |
|
 |
アリゾナへの出張 August 18, 2006
|
 |
|
トヨタテクニカルセンターの拠点は、全米に3つありました。本社はミシガン。主に設計部隊がミシガンにいます。そして、アリゾナ。ここは本当に何もない砂漠の真ん中に世界一の規模のテストコースがあります。ここは評価部隊が常駐。それからロスです。こちらも評価部隊が常駐しています。
ロスにはテストコースがないので、普段は施設内のテスト用の機器や公道を使ってテストを行っていますが、やはり車の開発にテストコースは必要。必然的にアリゾナへの出張はしょっちゅうになります。月2、3回は行っていたでしょうか。こんな巨大サボテンが普通に生えています。

アリゾナと言えば砂漠ですが、夏は無茶苦茶暑いです。夏の日中は45度以上に。乾燥していると日陰は涼しいなんて言いますが、ここはその限度を超えています。日陰だろうが、真夜中だろうがむちゃくちゃ暑いです。空調がないと、生死に関わります。それでいて、冬はロスより寒くたまには雪が降ることもあります。
そんなわけでアリゾナは苦手でしたが、意外にもアリゾナの首都フェニックスは、米国人が住みたい都市で常に上位に入っています。理由は温暖な気候。そんなバカな!アリゾナが大好きという、スタンに聞いてみましたが「だってロスはジメジメしているからイヤ。」だそうです。ンなアホな!日本人にとってはロスも十分乾燥しているんですけどね。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 5:25 PM |
|
 |
ロスでお仕事開始 August 17, 2006
|
 |
|
本題に戻って、ロス赴任後のお仕事の話。実在の人物のお話なので、これまで日本人の関係者はアルファベットで表記していました。これから米国人の登場人物もこの調子でやると、わけがわからなくなりそうなので、今後は仮名でお話しを進めていきます。
赴任後、私はVEAという車両評価部署のマネージャーとなります。役職でManagerというと課長と訳すことが多いようですが、イメージ的には課長と係長の中間くらいでしょうか。私のグループは、エンジニアのベン、アシスタントのデビッド、セクレタリのシンディおばあちゃん、日本人テクニシャンのMさんという布陣です。私の上司は、最初はFさんでしたが、すぐに帰任して米人ジェネラルマネージャーのチャーリーとチャーリーのコーディネーターのDさんです。チャーリーとDさんは、アリゾナに常駐なので、ロスでは私の天下。ロスでの上司は、ちょっと苦手なK副社長になります。
日本では係長級でしたが、部下はいませんでした。従って初めて部下を持ったことになります。技術的な仕事の本質は日本にいた頃とあまり変わりませんが、大きく変わることがあります。一つは部下を持ったことで、部下のマネージメントが必要になること。マネジメント経験の無い人間が、いきなり米人のマネジメントをやるわけですから大変です。
もう一つは、出張者対応。海外出張者が入れ替わり立ち替わりやってきます。技術的な試験をやるためにやってくるので、試験自体のサポートについては大変ですが勝手は良くわかっています。それ以上に大変なのが、出張者のアテンド。英語ができない人も多いので、何から何まで面倒を見てあげないといけないのですね。休日も返上になるわで、大変です。中には、英語も海外経験もバッチリと言う方もおられます。しかし、この方達にもフルアテンドしないといけないんですね。海外出張中に、何かあったらまずいというわけです。この風潮はどうにも馴染めず、必要な人にはしっかりアテンド、自分で行動できる人はご自由にとしたかったのですが、組織で長年やっている事はなかなか変えられなかったですね。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 8:12 PM |
|
 |
Champions on Ice -3 August 16, 2006
|
 |
|
Champions on Ice のレポートが好評のようです。もっと写真を見せてと言うご要望もいただきましたので、写真メインでお送りします。
私としては、一押しの井上怜奈さんとジョン・ボルドウィン。二人の演技にはとても暖かい愛が感じられるんですね。昨日電話でお話しさせていただきました!

ブレブレでも絵になるのが荒川静香。

こんな道具を使った演技がみられるのも、ショーならでは。

往年の名選手ボナリーも。

サーシャ・コーエンの演技もなかなか良かったです。

男子選手の写真は、個人的趣味の関係で割愛です。
真夏のアイスショー。外は暑かったですが、中は当然と言えば当然ですが、冷蔵庫の中のように寒かったです。私は準備よくジャンパーを持って行きましたが、タンクトップだけのお姉さんもいっぱい。記念のTシャツが飛ぶように売れていましたが、あれは防寒用に使われたに違いない。
アイスショーに行かれるときは、防寒着をお忘れなく。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 6:05 PM |
|
 |
え? 元駐在員が大屋さん? August 15, 2006
|
 |
|
さて、赴任してすぐの家探しの続きから。

Palos VerdesとTorrance合わせて10件くらいの家を見ました。そのうちの一軒をを見ていたとき、リアルター(不動産屋)のおばちゃんが、「ここは日本人の駐在員だった人がオーナー。その人はもう、日本に帰ったんだけどね。」と言いました。
これを聞いて、とても不思議でした。なんで、駐在員で家を買ったりするんだろう?しかも、日本に帰って人に貸すなんて? 駐在員として、数年とは言え一時的に滞在しているだけなのに、家を買うなんてまるで理解できなかったのです。
今はわかります。その方は、素晴らしい投資をされていたのです。駐在員は、海外法人を持つような会社に勤めているわけですから、ローンは下りやすいです。外国人で大丈夫?なんて思いますが、さすが移民の国アメリカ。外国人でも問題なく不動産を購入できますし、ローンの審査が外国人故厳しいなんてこともありません。これはアメリカの素晴らしいところですね。日本に住む外国人は、こうはいかないはずです。
そして、会社から支給される家賃の手当を使ってローンを返済して、帰国後は家を貸してローンの返済に充てる。これはかなり有望な投資ですね。日本の不動産の場合、建物は古くなった分価値は確実に目減りします。ところがこちらの場合、古い建物も立派に価値があって年とともに基本的に値上がりしていきます。もちろん、価格は相場に左右されますので下がるリスクもあるわけですが、長い目で見ると確実に値上がりしているのが(地域にもよりますが)アメリカの不動産と言って良いようです。
私も駐在員時代に、やっときゃ良かった〜〜。これに気がついたのは、駐在員を辞めて何年も経ってから。その後、地道に不動産投資もマイペースでやっていますが、駐在員時代だったらもっと良い条件だったのに・・・ というのは痛切に感じますね。
現在、そういう立場におられる方は、ぜひ考えてみると良いと思います。ここで紹介したPalos VerdesやTorranceでしたら、こちらで相談されると良いでしょう。この手の経験が豊富なので、良いアドバイスが得られると思います。
ちなみに私の家内です。不動産投資に熱中するうちに、ライセンスも取ってリアルター(不動産屋)になってしまいました。リアルターの試験は当然英語ですから、家内も苦労した面もありますが、後々そう言うお話しもしたいと思います。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 8:09 PM |
|
 |
Champions on Ice -2 August 14, 2006
|
 |
|
せっかくなので、昨日のChampions on Iceの続きを少々。
井上怜奈さん以外で注目したのは、やはりこの方。荒川静香さんです。

オリンピックと変わらぬ素晴らしい演技を見せてくれました。生イナバウアー、じっくり見せていただきました。彼女の演技は、本当に美しいですね。ことさら激しいジャンプでなくても、見る人を魅了します。
しかし、ちょっと残念だったのが、金メダルの荒川静香さんよりも、銀メダルのサーシャ・コーエンの方がずっと声援が大きかったこと。でも、アメリカの選手だけにしょうがないですねえ。演技もなかなか良かったです。
それよりも更に人気だったのが、ミシェル・クワン。

地元の選手なだけに、人気なのはわかりますが、それにしても段違いの声援。長年の実績を誇るとはいえ、トリノオリンピックはドタキャンでしたし、選手としての旬は越してしまった感があります。実際、演技も平凡で素晴らしいとは言えませんでした。それでも、そんなこととは関係無しに観衆は熱狂の渦に包まれました。日本だと、期待された結果が出ないとバッシングなんてなりがちですが、こちらのファンはその点、ずっと暖かいと思います。
他にも、フランスのボナリーとか往年の名選手や、コンペティションではお馴染みではない、ショー専門の方もコミカルな演技やフラフープを使った演技など、とても楽しめました。アイスショーは初めてでしたが、文句なしにお勧めです。
さて、ショーが終わって周りのアメリカ人の観客の立ち話が聞こえてきました。
「今日のショー、演技はもちろんだけど、音楽が素晴らしかったね」
(私も、同意。)
「そうね。なかでもゴッド・ブレス・アメリカが一番素晴らしかった。」
うーん、そう来ましたか。ゴッド・ブレス・アメリカ、サーシャ・コーエンが使ってました。スポーツイベントでゴッド・ブレス・アメリカを聞いて感激する。これはアメリカ人の一つのお決まりの儀式と言っても良いでしょう。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 5:33 PM |
|
 |
井上怜奈さんを観てきました August 13, 2006
|
 |
|
昨日は、NBAレイカーズの本拠地で有名なステープルセンターで、アイスショー「Champions on Ice」を観に行きました。Champion on Ice の名に恥じない、豪華なメンバーが勢揃いでした。今年のトリノオリンピックの女子シングルのメダリストは全員出場。他にも、オリンピックメダリストや世界選手権で活躍するメンバーでいっぱいでした。金メダルを取った荒川静香さんに注目したのはもちろんですが、実はお目当ては別の選手。この方です。

フィギャスケート通の方はご存知でしょうが、井上怜奈、ジョン・ボルドウィンのペアです。この二人はトリノオリンピックは、米国代表で出場しています。トリノでの成績は、見事7位入賞。それ以上にすごいのが、スロートリプルアクセルの大技を、オリンピック史上初めて決めたことです。完璧な着地でした。
オリンピックに出場する方は、例外なく人並み外れた努力をしているわけですが、怜奈さんは本当にすごいです。
92年のアルベールビルではペア、94年のリレハンメルオリンピックではシングル日本代表で出場。98年の長野オリンピックの前に、お父さんを肺ガンで亡くされています。これが響いて、全日本選手権では力を発揮できず、出場できませんでした。
その後、アメリカに活動の拠点を移しますが、肺ガンを患ってしまいます。手術を勧められますが、スポーツ選手として肺の手術は致命的。キモセラピー(抗ガン剤)による治療の道を選びます。しかも、仕事もスケートの練習も続けながら。そして肺ガンを克服するのですが、その後も練習中の事故で頭部の大怪我や、卵巣破裂など辛い闘病生活を送ります。
そして、よき理解者であるジョン・ボルドウィンをパートナーに迎え、2004年の全米選手権で優勝。2005年9月には、米国市民権を取得し米国代表としてオリンピックに出る前提を確保します。オリンピックの選考会となる2005年の全米選手権では、ショートプログラムで4位と出遅れますが、フリーでスロートリプルアクセルを決め大逆転。3度目のオリンピック出場を決めたのでした。
その素晴らしい演技以上に、決して諦めないその姿に完動しました。特に、米国に住む日本人としては、大きな勇気をもらいました。
実は、これだけ怜奈さんに入れ込んでいるのも、あるイベントがきっかけで個人的にお話しをさせていただいているからです。今のところ電話とメールで連絡を取らせていただいているだけですが、今後お会いすることになりそうです。今からとても楽しみです。お会いできたら、またここでご紹介したいと思います。
日本にいる時は、仕事上のつきあい以外、あまり他の分野の人と知り合えることはなかった気がします。ロスでは、色んな分野で活躍する日本人がたくさんいます。お互い日本にいたら雲の上の人でまるで接点がなかったはずなのに、日本人繋がりで知り合うチャンスが大いにあるわけです。異分野のトップクラスで活躍する方と知り合えるチャンスが多いのも、ロスならではの魅力だと思います。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 5:20 PM |
|
 |
家探し August 11, 2006
|
 |
|
海外赴任して、最初にやらないといけないのが、家探し。初めて住む海外での家探しは大変そうですが、ここロスで駐在員として探すのはちっとも大変ではありません。
赴任する駐在員は毎回家探しをするわけですから、この不動産屋さんに頼みなさいというのが決まっているんですね。そして、それは日本人の不動産屋さん。向こうはもう慣れていますので、どんな地域が良くてどのくらいの予算なのかちゃんと把握しています。それに見合った物件を紹介してくれます。
トヨタ・テクニカルセンターのオフィスは、Torrance Cityにあります。トヨタの駐在員の大半は、隣のPalos Verdes地区に住んでいました。ここは言ってみれば高級住宅街で、治安や教育環境は米国では最高と言えるところです。100点満点ですね。ただ、少々会社からは離れています。
Torrance Cityも治安や教育環境は大変良いところですが、Palos Verdesと比べるとちょっと落ちます。85点と言うところでしょうか。もちろん、会社にも近いわけです。私は子供もいなかったので、会社に近いTorranceにしました。大体10件くらい見て回りましたが、一番最初に見た明るい感じのタウンハウスが気に入ったのでそこに決めました。家賃は確か97年当時 $1950でした。当時の会社の家賃負担の上限は、$2200くらいだったと思います。これだけ会社が負担してくれるわけですから、駐在員は恵まれていると言っていいでしょう。

|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 5:35 PM |
|
 |
I副社長と再会 August 10, 2006
|
 |
|
赴任してすぐに、前任者のTさんとともにI副社長のところに挨拶に行きました。私の海外赴任は、I副社長が強力に推してくれて実現しただけに、感謝の気持ちで一杯です。
そこでI副社長。
「ところで、一人で赴任したの? 君のところは、お子さんもいないし奥さんといっしょに来れば良かったのに。」
Tさん;「それは前例もありませんし、やはり奥様には落ち着いてから渡米してもらうべきかと。」
I副社長;「そんなことないよ。以前XX君は、やはり子供もいなかったので同時赴任しているよ。第一、武藤君の奧さんは、一人で海外旅行行くような人だから何も問題はないだろう。」
Tさん;「・・・」
さすが、I副社長、わかっていらっしゃる。ちょっと鬱憤が晴れました。
しかし、I副社長、残念ながらあと僅かで帰任することになっていました。せっかくいっしょに仕事ができると思ったのに、残念でした。
I副社長の後任は、K副社長(日本人)。サラリーマンたるもの上司との相性なんてことは言っていられませんが、正直に言うと、K副社長はちょっと苦手なタイプ。苦労しそうな予感がありました。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 4:45 PM |
|
 |
あれあれ? August 8, 2006
|
 |
|
赴任の際は、妻も一緒にと考えていました。ところが、前任者のTさんは「とんでもない!」と言うのです。まず単身で赴任して、一ヶ月ほどこちらの生活にも慣れて、住居等の準備も十分整ってから家族を呼び寄せるのが習わしと言うことでした。
確かにお子さんんがいたり、奥さんが英語がまるで駄目な人は、家族のケアが大変なので十分落ち着いてから呼び寄せた方が良いと言うのはわからないでもありません。しかし、私の場合は子供はいないし、旅行好きな妻は日本にいた時も私を置いて一人でニューヨーク旅行なんかに行ってしまう人です。家族のケアは全然問題無し。
住居が決まるまではホテル暮らしになりますが、アメリカのホテルは日本と違って、一室いくら。一人で泊まろうが二人で泊まろうが、基本的に料金に差はありません。滞在費に関しても、むしろ同時赴任の方が経済的です。
私としては、正直な所、馴れない生活がスタートする訳なので、朝晩飯の心配からしたくないんですね。ホテルもキッチン付きなので、妻がいてくれると助かりまし、二重生活にならない分何かと経済的です。
そういう私の事情を説明してみましたが、「馴れるまでは、家族の呼び寄せは厳禁。」、「前例がない。」ってことでまるで話がかみ合いません。それじゃ、妻は個人的に海外旅行でロスに行くってことで・・・なんて言ってみましたが・・・
とうとうTさんは、現地の上司のFジェネラル・マネージャーを担ぎだして、同時赴任は許可しないってことになりました。あれあれ、赴任前からいきなり気まずい事になってしまいました。
仕事は仕事、家族の事は個人的な事で自分の裁量で決めるのが当然と思っていましたが、サラリーマン的にはまずかったようですね。でも、この「あれあれ?」って感覚、これだけじゃなかったんです。
そういうわけで赴任時はおとなしく単身でロサンンゼルスに来ました。しかし、妻も一人で引っ越しが済んだ空っぽの家にいるのもつまんないって事で、一週間もするとロスに来てしまいました。赴任後一ヶ月間は、見つからないように過ごしました。何だか、愛人宅に通うような気分だったかも?
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 6:47 PM |
|
 |
海外赴任決定 August 7, 2006
|
 |
|
97年になって遂にトヨタテクニカルセンター、ロサンゼルスオフィスへの赴任が決まりました。ずっと希望していた海外赴任の決定です。駐在員=エリートと言うのは過去の話かもしれませんが、やはりそれなりに認められた人が派遣されていると思います。
私はと言えば、ここで書いているように、趣味の海外旅行、ログハウス造り、Macいじり、英語の勉強に熱中していて、仕事は二の次。お世辞にも仕事第一の人ではありませんでした。他に二人の候補がいたのですが、彼らの方が、仕事面での実績は上だったのではないかと思います。
決め手となったのは、Toeic 730点をクリアした英語力とロサンゼルスオフィスの拠点長だったI副社長が推してくれたことでした。I副社長は、私がToeic 730点を達成した時に「おめでとう、すごいね!」と言ってくれた当時の室長です。
そう言えば、その数年前にI室長がロサンゼルス赴任になったとき、「ぜひ私を将来ロスに呼び寄せてください。」とお願いしていました。その時は、「今のおまえの実力ではまだまだ。もっと精進しなさい。」とのお言葉をいただきました。数年越しに、その約束?が成就されたわけです。I副社長の下で働けると思うと嬉しかったっです。
赴任前の半年間は、赴任準備で色々な教育を受けたりします。通常は、英会話の特訓も受けることになるのですが、Toeic 730点到達者は免除・・・というか受ける権利がありません。自己努力のせいで、ただの英会話クラスが受けられなくなるのはちょっと損した気分でした。
赴任前1-2ヶ月になると、前任者のTさんとメールや電話で具体的な連絡を取るようになります。そこで、あれ?っと思う、意見の相違が明らかになりました。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 11:02 AM |
|
 |
絶体絶命!? August 4, 2006
|
 |
|
出張先の最初の拠点、ミシガンに到着しました。ここは、設計のエンジニア達が集まっています。現地の関係者の挨拶もそこそこに、早速一対一のレクチャーを始めました。長時間にわたって、しかも決して単純ではないことを英語で一対一でコミュニケーションを取るのは初めてのことです。ほとんどの相手は初対面ですので、やはり緊張します。うまく英語が通じるかな?という不安もあります。もちろん、英語で困らないように、教えるパターンを予め準備していました。
ところがレクチャーを始めると、根本的な大問題がわかってきました。
What is this for? Why shoud I do it? My manager told me that I should join this meeting. But I have no idea what it is.
と極めて根本的な質問のオンパレード。実際の運用面でうまくいかず困っているという話だったのですが、実態はこのシステム自体現地では全く認知されていなかったのでした。こんな状態で、システム運用開始までもっていくのは、ほとんど絶望的です。ただ、絶望的と言ってられないのが、海外出張の身。
当初考えていた時間を延長し、レクチャーの内容も大幅変更。予定していなかった基本的な部分にたっぷり時間をかけて、応用編は思い切って割愛しました。そして時間をかけてじっくり教えていると、エンジニア達も「なるほどこれは役に立つシステムだ。」と興味を示してくれました。日本では、余分な仕事が増えるだけと不評を買っていて浸透していない、と聞いていましたが、実態は全く異なっていました。
こんな具合に、ミシガン、アリゾナ、ロサンゼルスのレクチャーの旅は終わりました。担当エンジニア達の、到達レベルは何とか必要最低限レベルまでいったかなと、少々不安なものではありました。しかし、とにもかくにも、これはやるべき仕事であり、役立つシステムであるという認識を持ってもらえたのは大きな収穫だったと思います。
それから、この時のエンジニア達との英語でのコミュニケーションは本当に貴重な体験でした。絶体絶命の危機に立たされ、用意してきた台本はパー。そこで、必死で会話を通して、どう教えると良いかを考えながらレクチャーしました。ふと気がつくと、自分が英語を話しているという意識無しに、夢中で話している自分がいました。これは初めての体験でした。
その後まもなくシステムの運用は開始され、紆余曲折を経ながらも運用は軌道に乗っていきました。最終的には、日本よりも米国サイドの方がよりシステムを活用しているという結果になったのは嬉しかったですね。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 1:40 PM |
|
 |
海外出張 August 3, 2006
|
 |
|
このところ、社会人時代の趣味の話題となっていましたが、トヨタ自動車時代のお仕事の話に戻ります。96-97年頃は、北米のトップセールスの車種 カムリの担当でした。当時年間40万台くらい売れていましたから、世界的に見て最も売れている車と言うことになります。
カムリは、アメリカでの生産と開発も行っており、アメリカサイドとは密接に連携しながら開発を行っています。そのため、海外出張もちょくちょく行くようになりました。
ケンタッキーに工場がありましたので、新型車の立ち上げ前は長期に出張しました。これは貴重な体験ではありましたが、英語的にはそれなりに良い体験だったな、くらいでした。まわりには日本人出張者がたくさんいますし、現地関係者もそういう日本人とのコミュニケーションに慣れているわけです。英語でのコミュニケーションにそれなりに自信を付けつつ、それほど実力は上がっていないという状態だったと思います。
97年になって、トヨタの米国の技術部の3拠点(実質全部)に出張の命を受けました。当時車両開発支援システムの運用を日本側では開始していました。要は開発の進捗状況を各開発担当者が日々アップデートして、全体の状況が一目でわかるようにするツールです。これを米国側にも展開して、日米間でも同じように開発状況がわかるようにしようというわけです。私の役目は、各ユーザーへの使い方のレクチャーを行うことです。
これまでも、システム開発担当者が全体の説明会を行ったり、使用マニュアルを配布したりしていたのですが、全くと言っていいほど浸透していなかったんですね。システム開発担当者は、具体的に開発の場面でどのように使うか理解していないので、うまく浸透しないんですね。開発担当のエンジニアでシステムについて理解している人がいないのが致命的でした。
そこで私が現地に乗り込んで、一人2時間、Face to face で特訓を行い、目前に迫ったシステムの運用開始に間に合わせることになりました。ミシガン、アリゾナ、ロスと3拠点、全部で20人以上と一対一の真剣勝負になりました。もちろん、そのほとんどが米国の現地エンジニアです。
これが上手くいかなかったら、システムの運用が大混乱になるのは必至です。責任重大な出張でした。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 4:44 PM |
|
 |
いつのまにかMacマニアに August 2, 2006
|
 |
|
通勤路で見つけたパソコンショップ、そこはリフレコという中古パソコン店でした。今もあるのかな? 店の一番奥にMacが展示してありましたが、ちょっと古めの機種に結構安値が付いています。そこで目を引いたのが、17インチモニタとセットの、Mac IIsi。今でこそ17インチのCRTモニタなんてどうってことありませんが、当時は憧れの大画面でした。そして、その店のポリシーが必ず本体・モニタ・キーボード・マウスのセット売り。モニタだけ売ってと頼みましたが、社長は決して首を縦に振りません。セットでも割安だったので、仕方なくIIsiとセットで購入しました。
余分に付いてきた本体、キーボード、マウスは不用でしたが、一体どういうものかネットと本で調べました。ちょうどその頃オールドMacが一種のブームになっていました。当時の少し前のMacは、デザイン的に優れたものが多く、また価格が高かっただけに贅沢な作りだったのですね。
パソコンの性能としては賞味期限切れですが、コレクターアイテムとして盛り上がっていたわけです。また、キーボードやマウスは古くても機能は最新品と変わらないわけですが、コストがかかっている分むしろ使い心地が良く、ファンも多いのです。
そんなわけで、会社の帰りにリフレコに立ち寄ることも多く、面白いマシンがあるとお買い上げしていました。そうこうしているうちに、段々古いMacについても詳しくなっていきました。当時は思ってもみませんでしたが、このことが後の脱サラに繋がっていきましたので、人生はわかりません。

写真は、建築中のログハウスにセットアップされた当時のマシンです。このころは、ログハウスも90%くらいできあがっていて、住みながら仕上げを行っていました。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 2:25 PM |
|
 |
Macとの出会い August 1, 2006
|
 |
|
ログハウス造りがまっただ中の1995年、世の中は急速にコンピューター化が進んでいました。私が務めていた部署にも、日常業務に本格的にパソコンが導入されることになりました。私は電気化卒ではありますが、実は当時コンピューターは大の苦手。ずっと避けてきたのでした。
職場に導入されたのはMacintosh LC 630。アップルのコンピューターです。95年とはいえ、Windows 95 日本語版の発売は、95年末のこと。当時のWindowsは3.1でMacに比べ格段に遅れていましたので、Macの導入は賢明な選択でした。
さて、困った。苦手のコンピューターの本格導入。こうなったら、自分で買って勉強するしかあるまい。Performa 6210というMacを購入しました。お陰でパソコンの苦手意識はすぐに払拭できました。そうなると次はインターネットに接続です。当時は、インターネットはまだまだ流行はじめと言う雰囲気でしたが、すぐにはまってしまいました。そうなると、周辺機器も必要になってきます。登場したばかりのネット通販で買い物したり、ネット上の個人売買コーナーでお買い得の中古品を見つけ、喜んでいました。
その内、通勤路に一風変わったパソコンショップがあるのに気がついて、立ち寄ってみました。
|
 |
 |
| 投稿者: 武藤 秀毅 日時: 12:00 PM |
|